
いま、主に読んでいるドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』はまだ2巻目に入ったばかりと、かなり時間がかかってしまっている。
これは、この作品がつまらないとか難解だからという理由でなく(むしろ新訳版はかなり解りやすくおもしろいのだが)、僕は他に気になる本があるとそっちを中心に読んでしまうからなのだ。
新聞の書籍紹介コーナーで気になったものはすぐに図書館で借りてしまうし、友人のおすすめや借りたものがおもしろければ、そっちに読書の時間をかける。
そんなこんなで『カラマーゾフ』はこれからもなかなか進まない予感がする(笑)
■『デッドエンドの思い出』は友達から借りたもので、おもしろくて一気に読んでしまった。
よしもとばななさんの本は久しぶりだけど、いままで読んできた作品の“香り”はそのままなので、なんだか懐かしい思いがした。
これは何組かの恋愛をえがいた短編集。
そのどれもほんわかとこころ安らぐような気持ちにさせてくれる作品だけど、僕は冒頭の『幽霊の家』と最後の『デッドエンドの思い出』がもっとも印象深かった。
多くの作家はどこか似たような人物設定になることが多いようだ。
ばななさんの作品でもそれは感じる。
行動パターンや性格は違うのだけど、根っこが一緒という感じなので、こういった短編集では主人公が混在してしまうような気になる。
しかし、どの主人公もじつにすてきな人たちだ。
その脇を固める登場人物もこれまた魅力的な人が多くて、本当の意味で『悪い人』は登場してこない。
さらに言ってしまうと、あまりに素敵で真っ直ぐでまっとうな考え方なので「こういう人たちっていいなあ」と思う反面、どこか居心地の悪さを感じてしまった。
なぜそんなふうに感じたのだろうと考えた。
それはたぶん、僕自身がそこまで良い人間ではないと思いながら読んでいるからかもしれない。
それがなぜか負い目として感じるのか、自分自身が登場人物のように清らかで純粋な気持ちをもっていないからかもしれないというギャップからくるのか・・なんとも不思議な感情をもった。
かといって、僕自身はそんなに悪い人間とは思ったことはない。どちらかといえば良い人間だと思っている(なんだか変な文章になってきたぞ^^;)
ただ、自分の内面のうんと深い部分の気持ちにできるだけ正直なれる道を探りながら生きていきたい。僕はそんなふうに考えて生きている。
それに、そもそも『いい人間』でいることに固執することはないと思う(良い悪いはそう簡単に判断はつかない)。
その人の気持ちに正直に生きようとしているか?!が大切ではないだろうか。
■ちょっと脱線してしまったが、この短編集はどれも普段は眠っている魂をおこさせるような普遍的な真実を物語っている。
それであるからおもしろいし、共感もできる。
それに、どれも若い男女の恋愛が舞台で、心情のこまかい表現なんかは「なるほど・・・そう考えるのか!そうだよなあ」と変に納得してしまう場面があっておもしろい。
周囲のいろんな人のまごころや自らの意識で、失恋の痛手から回復する女の子の気持ちは、読んでいてついその人の気持ちになってしまう。
ほがらかに書かれているけど、本人は死んでしまうかもしれないほどギリギリの心境である。
「男と女は付き合っていても必ずどちらかの想いの方が強いもので、結局は片思いなのだ。」とは岡本太郎の言葉だ。
そうかもしれない。
女の人と付き合っているときって、どこか苦しいものだった。
とても楽しい反面、どこか物足りなかったり、反対に胸の締め付けられるような思いをしたり・・
なんとも不思議なものだ。
ばななさんは、そういういろんな心境と真正面から取り組んでいる。
このまっすぐな姿勢に共感をおぼえるのだ。
じゃんじゃん