イメージ 1

■ボクとおなじ誕生日の作曲家^^のジャン・シベリウス作曲『4つの伝説曲』のなかの1つ『トゥオネラの白鳥』をよく聴く。

この曲はシベリウスのなかでも特に有名なものの1つで、こんなイメージをもって聴いている。


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よく晴れわたった厳冬のフィンランドの大地に、1人の男がぽつんと立っている・・

その澄んだ青い瞳には、遠くを飛んでいる一羽の白鳥の姿がうつっている。

彼はなにか物思いにふけっているようだ。そして、その考えていることはけっして明るいものではない。

でも、たったいま、彼はそれに立ち向かう決心をした!その自分でだした決意に武者震いさえする思いだ。

そんなことを考えながら、遠くを飛んでいる美しい白鳥を目でおっている。

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なーんて、勝手にイメージをもっている(笑)
これはあくまでイメージであり、ボクの心情ではないですよ。


■さて、現代はなんに対してもマニュアルがあるし、あらゆる情報に溢れている。

分からないことや、困ったとき、なんかしらの対策や方向性は簡単に手にはいる。

しかし、人それぞれが抱いている悩みや困り事というのは、似かよってはいてもすべてが違うもの。

だから、本来、マニュアルなどはないし、自分自身で答えを見いだすしかない。

また、すぐに解決などはしない。

長い時間たいへんな想いをすることだってある。
(ボクはこの長い間悩むということもその人の成長にとっては大切なことだと思っている)

よく友人の悩みとかを聞いても、「こうした方がいいよ!」などとは言わない。

それは、その本人が考え抜いて出した答えがその人にとって一番の正解だと思うし、そうでないと最終的に納得できないから。

正解(答え)はその人のなかにしかない。
世の中のどこでも通用する普遍的な答えなどはない・・と思っている。

だから単なるアドバイスでしかない。
そうは言っても、けっして軽く考えるわけではなく、自分のことのように真剣に考える。

そうでないと、そのアドバイスに意味がないばかりか無責任な発言になってしまう。


それにヒントがなにもない状態で考え抜くということは大変苦しいことなのだが、極めて大切なことではないだろうか。

自分の今までの経験や知識を総動員して考え抜くという体験は、現代はしなくともやっていけることかもしれない。

でも、実は難を切り抜けたと思っていても、その事について必要なだけ考えていなかったら、実際は難から抜け出していないのかもしれない(その辺の充実感のなさも、現代の悩みの1つだろうか・・)


この前、友達との会話で、「オレって確定的なモノの言い方をしないんだよ」という話をした(まあ、たまにするけど^^;)。

これは物事に確信がないということではなく、まだその先に(自分にとっての)真実があるのではないか、と思っているからなのだ。

おそらく、みんなもそうであろうが、人は同じテーマを何年もかかって考える。特に意識しなくとも頭の片隅で考え続けるものなのだろう。

その際に、そのときは絶対と思っていた考えが変わることがある。まったく変わるのでなく少しだけ変化・進化するように変わる。

例えば、ボクは大学の頃、今の社会をよくするためには、世の中は昔に返って『モノ』のない時代にするのがいいのではないか。『モノ』が溢れていることがよくない原因だ。
・・・と思っていて、そういう話を友達と北千住の薄汚れた居酒屋でよくした^^;

しかし現在は、昔に返るということは人間の特性上非常に困難なことだということと、『モノ』と上手く付き合うことをすれば、社会の良くない原因を『モノ』のせいにしなくてもいい。その他もろもろ
・・というように変化している。

この考えもまたいずれ変化していくだろう。

友達との会話でおもしろいところは、お互いの考えを出し合って閃いて、議論がどんどん発展していって、思いもよらない結果になるようなとき^^

これはいいねー(笑)


じゃんじゃん