■子どものころは、よくチャリンコをつかった。

お金がないので、どこへ行くんでもチャリンコでいく。

あるときは、ザリガニを捕りに千葉県の柏までチャリで行ったことがあるが、これは遠かった・・国道6号線をひたすら走るのだが、すぐ脇では大型車がひっきりなしに走っていて気楽なものでもない。

しかし、この道の先には見たこともないたくさんのザリガニがいると思うと、がんばってペダルをこいだものだ。

そのときの収穫はすごかった。
100匹は優に超えるザリガニを大きなバケツに入れて、もと来た道を戻ったのだ。

大収穫であったため、帰り道はそれほど苦しくなかった。

しかし、今思うと「よくやるよなー・・」って感じだよね^^;


■小学高学年から中学生になると映画を観に銀座へ行く。そのときもチャリンコを必死にこいでいく。

足立区から中央区の銀座までは1時間30分ちょっとくらいだっただろうか。

このころはジャッキー・チェーンのカンフーものが好きで、そういうのをみんなで観る。もちろん、スター・ウォーズやスーパーマンシリーズも行った。

このときの昼メシはどうしたんだろう。小学生がレストランに入るわけないし・・その辺のパン屋さんかどこかで適当に済ませていたんだと思う。

そんなある日、友達と映画に行った帰り、友達のチャリのタイヤがパンクした。

まだ銀座からそんなに走っていない距離だった。
この日は日曜日で、街の自転車屋さんはみなシャッターが下りている。

しかたなく、家までパンクしたチャリを引きずりながら帰ることになった。

このとき、「あーあ、まいったなー。」とか「こいつのせいで、オレまで歩くのかよ」とか不満は思わなかった。

「そういうこともあるよな。ま、ゆっくり帰ろうぜ!」というような余裕の気持ちで夕方の街をてくてくと歩いて帰る。

このときの時間は実にゆっくりと流れていた。どんな自体になってもそんなに慌てるということをしなかった。

時間に寛大な人は、心もそれだけ余裕があるもの。

今の自分は時間をやたらと意識してしまっている。
もしかしたら、子どもの頃の自分の方が今より人間が大きかったのではないだろうか?
そういう部分があったのかもしれない。

自分の子どもを見ていてもたまに似たようなことを感じる。

この子らの方がよほど人生を人らしく生きているようだな・・と。

子どもから学ぶことはじつに多い。