■このブログをやっていて、最近ちょっと疑問に思うというか、気になることがある・・

コメントを下さる方(僕もみなさんへのコメントも同じであるが)の、意見には目だって反対的な意見がない。

それがこのブログの良い点でもあると思うのだが、どうも片一方に寄りすぎな感がしている。

同意見ばかりではしっくりこないし、なにか真実ではない。

反対意見は普通のことであるし、むしろ大歓迎なのだ。

時にはその反論が痛いときはあるだろう(そういうものだ)。しかし、その方が自分にとって考えの幅が広がるし、なによりコミュニケーションをとっているという手応えがある。

またモノは言いようである。
反対意見でもズバリと相手の心情を構わずに言うのはこれもどうかと思う。そこは大人同士であるから、うまく反対意見を伝えるテクニックがある方がいい。

これは絶妙な技を要するものでなく、日頃の対人関係と同じことだ。

自分の気持ちが相手と違うときは、ちゃんとその意思を伝えることは必要というか、それが当たり前の行動だ。

変に相手を気遣ったり、自分が臆病になってうやむやにしては、物事がおかしくなってくる。

現代の特徴の1つであるが、ストレートに相手と付き合える人は少ない。


■稀に「自分は今までの人生で怒ったことがない」という人がいる。

それはたぶん“キレたことがない”という意味だと思っている。

もし、本当に怒ったことがない人がいたとしたら、よっぽどの鈍感であるか、世の中をまったく見ていないという人だろう。

世界のあらゆるところで起きている無差別テロや悲劇的な事故・事故の報道を知っても、怒りの感情がでないとしたら、それは人として欠陥があるのではないか。


■その時代の指標をみるには車社会を見ると分かりやすい。

前にもここで車社会の自己中心的な動向が目立ち、ドライバー同士の良きコミュニケーションも希薄になってしまった、と書いたことがあった。

今はそれが加速してしまっている。

赤信号になった瞬間、慌てて突っ切る車の割合は増加している。「そんなに慌ててどうするのだ?」本人はそれが自分の運転スタイルだからさして疑問にも思わないだろう。

でも、これは立派な病ではないか?『多忙病』というか『スピード病』とでも言おうか。

自分の意識なくやたらと慌てて動く人たち。


一方で、前の車が青信号に気がつかなくてもクラクションを軽く鳴らして教えてあげようとしない。
ただ黙って待っている・・その後ろの車もその後ろも・・何も行動しないでじっとしている。

反対に、怒鳴り散らすようなクラクションを鳴らす人もいる。

ただ単に軽く合図してあげればいいのに(僕はそうしている)。

クラクション絡みの事件報道を聞いているから臆病になって無関心になっているのか?

これこそ、その人は自分よがりで責任逃れをしており、社会に背を向けているようなものだ。

ちゃんと正面から見て自分の信じる善にしたがって行動しないと社会など変えられないし、自分が萎縮してしまう。

現状維持という状態などはなく、改善に向けた行動をしないと悪化傾向にあると思っている。



なんだか、最初のテーマとかなりずれた(いつもそうだが^^;)



じゃんじゃん。