最近、ちょっと多忙なので、更新も不定期になってます・・


■『センセイの鞄』を読んで以来、川上弘美さんのファンになったので、次の作品を読んでいる。

今度のは『蛇を踏む』という短篇集。

『蛇を踏む』を読み終えて『消える』という話を読んでいるが、これらは不思議な世界の話だ。

著者自身のあとがきを読んでみて納得したが、はじめは「これらの表現をどう自分で処理すればいいのか?」と迷ってしまう。

川上さんによれば『うそばなし』を書いたのだという。

『うそばなし』とは頭に浮かんだイメージ・ストーリーであって、本当にあった話ではない。しかも、その「うそ」はどんどん発展していき、固い頭で読むと理解不能になり、途中で挫折してしまうだろう。
しかし、著者自身がたのしんで書いている「うそ」であるとことを理解すると、読み手の空想・発想能力も自由に動き出し、一緒に『うそばなし』の世界で遊ぶことができる。

川上さんは幼いころからこういう『うそばなし』を考えるのが好きで、「それを封印されていたら身体をこわしてしまうかもしれません。」と言っている。
さらに「遊ばなきゃ、からだも、きもちも変になります」とも・・

川上さんの書くものはストレートである。スーっと淀みなく流れるような表現というか、変に引っかかるような表現がない。それは文章内容はもちろんのこと、言いまわしもまったくのストレート。

これがまた読んでいて気持ちがいい。自分の心もほわっと広がるような、そんな開放感もある。

■自分の心のままに話をつくるのは、おもしろいことだし、それはその人の心にとっても大切なことではないだろうか。

僕のいちばんうえの娘は近頃マンガをよく書く。

それも自分で思いついたままの奇想天外(^^;)なストーリーであるが、なかなか上手いので感心している。

マンガ特有のコマ割やら、ストーリー展開、登場人物の間(ま)、セリフなどがとてもリアルであり、読んでいて「この次はどうなるんだ!?」と楽しみ思えてくるほどなのだ。

娘は、僕なんかが思いもよらない、破天荒で楽しい空想をたくさんしているのだろう。

■僕も音楽を聴いているときは、いろんなイメージをもって聴いている。

具体的なはっきりした絵や風景が浮かぶのは、マーラー、ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、プロコフィエフ、スメタナといった比較的近代よりの作曲家の作品。

反対に、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品は具体的なイメージがなぜか浮かばない。

それは、その響きが直接心の底まで到達してしまうからかもしれない、と思っている。

バッハの『マタイ受難曲』を聴くと、圧倒的な音楽のパワーに全身包み込まれ、空想する余地すらないかのようだ。

これは、音楽そのものでしかなく、それだけ隙がない作品なのかもしれない。

ジャンジャン