■ここんとこ聴いた音楽から・・
まずは、小澤さんとサイトウ・キネン・オーケストラの昨年の松本公演から(先月、HNKで放送したライヴ映像)
この年は非常に珍しく小澤さんがショスタコーヴィッチの交響曲第5番『革命』をとりあげたのだ(第5はボストン時代に1度か2度振ったくらいではないだろうか・・)。
いったいどんな演奏になるのか気になっていた(小澤さんは先だって亡くなったスラヴァの『第5』演奏がとても大きな存在だと言っていた)。
聴いていみると、想像とは違った演奏であった。
弦は重厚ではあるが、決して重過ぎない・・。いや、これではいつもの小澤さんだ。そこからさらに深みと厚みがある。
もっとも曲がそういう曲だからだろうが、最近の小澤さんは何かしらの変化があったのだろうか、と感じた。
それにいつも感じることだが、小澤さんは、その曲の演奏の歴史はほとんど考慮せず、スコアを読んで独自の解釈を発見するという、ゼロからのスタートをする。
これはどの演奏家もそうであるが、小澤さんの演奏からうけるこの印象は強い。
そのため作品がすごく新鮮に響くのだ。
このショスタコービッチのどのシーンからも目が離せなかった。
終楽章の独特のテンポも面白い。金管楽器はもっと鳴らしてもよかったのではないか・・と感じたが。
それにしたも、フルートの工藤さんはとてもよかった!
意味の深い音色でした。
終焉後の小澤さんの楽団員へのねぎらいの挨拶もいい。
ほんとうに『仲間』という感じがして^^
■昨日はグルタボ・デゥダメル指揮でドヴォルザーク『新世界』をFMで聴いた。
この指揮者、なかなかいい。
若干20代半ばのベネズエラ出身の若手がだ、オーケストラをまとめる能力がかなり高いんじゃないだろうか。解釈もおもしろく、何度も聴いてきた『新世界』に新たなスポットをあてている。
とてもおもしろい『新世界』だった。
スコアのすべてに作曲者の意図を求めるような音楽づくりは、好感がもてるし、しかも奇をてらうような姿勢は感じられない。正攻法なのだ。
もっといろんな曲をデゥダメルで聴いてみたいものだ。
まずは、小澤さんとサイトウ・キネン・オーケストラの昨年の松本公演から(先月、HNKで放送したライヴ映像)
この年は非常に珍しく小澤さんがショスタコーヴィッチの交響曲第5番『革命』をとりあげたのだ(第5はボストン時代に1度か2度振ったくらいではないだろうか・・)。
いったいどんな演奏になるのか気になっていた(小澤さんは先だって亡くなったスラヴァの『第5』演奏がとても大きな存在だと言っていた)。
聴いていみると、想像とは違った演奏であった。
弦は重厚ではあるが、決して重過ぎない・・。いや、これではいつもの小澤さんだ。そこからさらに深みと厚みがある。
もっとも曲がそういう曲だからだろうが、最近の小澤さんは何かしらの変化があったのだろうか、と感じた。
それにいつも感じることだが、小澤さんは、その曲の演奏の歴史はほとんど考慮せず、スコアを読んで独自の解釈を発見するという、ゼロからのスタートをする。
これはどの演奏家もそうであるが、小澤さんの演奏からうけるこの印象は強い。
そのため作品がすごく新鮮に響くのだ。
このショスタコービッチのどのシーンからも目が離せなかった。
終楽章の独特のテンポも面白い。金管楽器はもっと鳴らしてもよかったのではないか・・と感じたが。
それにしたも、フルートの工藤さんはとてもよかった!
意味の深い音色でした。
終焉後の小澤さんの楽団員へのねぎらいの挨拶もいい。
ほんとうに『仲間』という感じがして^^
■昨日はグルタボ・デゥダメル指揮でドヴォルザーク『新世界』をFMで聴いた。
この指揮者、なかなかいい。
若干20代半ばのベネズエラ出身の若手がだ、オーケストラをまとめる能力がかなり高いんじゃないだろうか。解釈もおもしろく、何度も聴いてきた『新世界』に新たなスポットをあてている。
とてもおもしろい『新世界』だった。
スコアのすべてに作曲者の意図を求めるような音楽づくりは、好感がもてるし、しかも奇をてらうような姿勢は感じられない。正攻法なのだ。
もっといろんな曲をデゥダメルで聴いてみたいものだ。