■なにを書いていいものやら、なにを書きたいのか明確でない。が、なにかを書かずにはいられない。

人は生きているなかでは、予期しえないさまざまな現象がおこる。

それが起きる前は、自分はそれに対処できる、いや、できない。など、ある程度自分で認識しているものだろう。

だが、実際に事が起こるとその認識をあっさりと超えた状態になって、考え悩みつづけるという場合はいくらでもあるのだ。

そこで人は、自分だけの力で新たに頭を高速回転させ、結論を見つけ出し、前進していかなければならない。

■いろんな人が書いた文書を読むと、そこにはまさにこれこそが真意だろうと思わされる貴重な教えが多くある。

山本周五郎、藤沢修平の清らかで人間くさい人生観。岡本太郎の虚像に満ちた現代をバッサリとぶち破る痛快さと勇気。福沢諭吉や孫子からは直接的かつ具体的な教義を学ぶことができた。

それらの考え、「やはり、人生とはこういうものではないだろうか」という結論(これは一様ではないし、彼らでも時とともに変化する)などは、いちおう頭では理解している。

ただし、ここが最も重要。

単に頭で理解しているのと、実際にその考えが実行できるのかどうかは、まったく別次元の問題。

頭で分かっていても実践できないのは、ほんとうに分かっているとは言えないし、その人間は結局は芯が弱い人間だということになる。

ここまで考えると一方で違う思想が頭をもたげる。

それはこういうものだ。

そんなに難く深く考える必要などはない。人間は誰しも混沌とした内面(精神)を持っている生物だ。理想はどんなに立派でも、それを実行する人は数少ないし、結局は実行できないのがそれこそ人間というものだ。

しかし、これは単に理想を諦めてしまった意思の弱い自分を納得させるための慰めの言葉でしかないのではないだろうか。

こういうときこそ、ほかではない己の人間性が試されているときだ。

だれの助けも借りられない。自分だけの内面の戦いでしかない。

こう書いていると、さも偉そうなことを言っているようだが、じつは何でもないのです。本当にしっかりしないといけない。自分が望む大人にならないとならない。