■先日見た社会心理学者の山岸俊男さんと爆笑問題が出演していた番組(NHK総合)は興味深かった。

番組なかで、(大雑把に言えば)今の日本社会を構成しているのは、我々一人一人が原因というよりも、日本の社会構造がそうさせているということだった。

また、「我々はどれくらい他人を気にして生活しているのか?」という問に対して、確か日本人は他国と比べてそれが大きかったようだ。

なるほど・・・

■昨今は、どこの行政でも似たようなモラル条例ができている。

例えば禁煙ゾーン。

たしかに、煙草の煙を不愉快に思う人は多い(マリーもね^^;)。しかし、なんでもかんでも規制をして行為を止めさせようというのは、安直すぎるし、正しい解答とはほど遠い判断だと思う。

また、僕の勤め先の繁華街でも人々を監視するカメラの設置がはじまった。

どこの行政もそうだが(そう見える)、その条例が与える深い意味での影響などはさほど考慮せず、他の地域の真似だけで決定し、その結果、社会を窮屈にしていることに鈍い。

と、話はずれたが、この番組ではこのモラル条例をとっぱらったら、今の日本人では円滑な社会を維持できない。というか、条例や法律におぶさって我々は生活している、とも言っていた。

これはショッキングな発言であるが、思い返すと、その節はある。

「罪を犯してはいけないのは、法律により禁じられているから。」

という考えが主流になってしまっているように感じるからだ。

以前にも書いたかもしれないが、禁煙エリアで煙草を吸っている人を見かけたとき、どこからともなく憤りの感情がわいてきたことがあった。

この心情はなんだろう?と自問した。

それは、煙草の煙による迷惑な思いをした怒りではない。条例を破ったことによるその人への単純な怒りだということに気がついた。

ルールを守っていないことだけが、憤りの原因・・。(オレは学級委員か?^^;)

そもそも煙草の煙などは気にならない(自分は煙草は吸わないが)

今の日本「法律を破ることになるから人を殺してはいけない。」が犯罪をしてはいけない一番の理由になっている。

これは物事の本質から大きくずれている。

やはり内面が自立しているまともな人が少ないのだろうか。

であるから、条例や法律で社会をかろうじて維持できているのだろうか・・


これは僕自身にもいえることだが、我々は何もないところで自分一人で考えることをしてこなかった。

マジョリティーの動向を気にして、それに添う生き方だから、自分の頭で考えて、その思考を熟成させる習慣が我々にはなかった。

このあたりの弊害はデカイ・・・


それと、この社会心理学という分野、なかなか面白そう^^