■先日、普段あまり接点のない会社先輩からのメールで「これらの曲はどうなの?面白いの?」といっていくつかの曲名がのっていた。

ベートーヴェンでは交響曲1・2番、ブルックナーのすべての交響曲、チャイコの第4・5番などなど・・

具体的にどういうことを知りたいのか直接聞いてみると、「それらの曲は自分が面白いと思うだろうか?」ということで、なんだか路線がずれている感じがした。

「気に入るか気に入らないかは、自分しか判断できないものだから、直接聴いてみるしかないですよー」としか言えない。

これは音楽に関わらず、すべてのジャンルに言える事で、いくらこの演奏が良いとか、この小説が面白いから読んでごらん、と言ってもぜんぜん違う反応が返ってくる場合が多々ある。

それはそれで悪くない。むしろ自分と違う反応は面白いもので、「そういう捉え方もあるなー。」と驚かされる。

というかそれが当然だし、まったく同じ感銘を受けることはない。違うのが当たり前。

だから、「自分が面白いと思うか?」と言われても「それは分からない」となってしまう。

本当は僕も『わかってほしい!』という願望はある。以前は「これ聴いてみな」「この本読んでみな」とやっていた時があったが、期待どおりにいかなかった。

それも当たり前のことで、そういうものではないのだ。そもそも趣味の押し売りはよくないのだろう。


■定年を控えた人で「クラシック音楽でも聴いて今後の人生を充実したものにしたい」というようなことを言っていたのを聞いたことがある。

「一体どうやったらクラシックが好きになるんだ?」とも訊かれるが、これも難しい。

僕の場合はどうしてクラシック音楽が好きになったのか分からないからだ。

気がついたらバッハからバーンスタインまでどっぷりはまっていて、抜けたくないし抜け出せないような状態だった(笑)

世の中にはいろんな趣味がるが、それぞれエキスパートがいるし、心底好きで打ち込んでいる人がいる。

その人たちもなぜその趣味が好きになったのか、深い心理部分では分からないのではないだろうか。ただ単に好きだったというような・・ね。

でも、本当に自分のあった趣味を持ちたいと思っている人は多い。

そういう人に対して言えることは1つ。

面倒くさがらずに、いろんなことに手を出してみることだ。

ちょっとでも関心があれば、それが糸口となって、気がついたらすっかり虜になるなんてことはざらにある。

自分からどんどん求める積極的な気持ちが何より大事だと思う。