■長崎市長銃撃事件とアメリカでの大学銃乱射事件・・

奇しくも同じタイミングでショッキングな事件が起きてしまった。

2つの事件は国も犯行目的も異なるが共通点がある。

ともに犯人はマスメディアを多分に意識しているということだ。

さらに、2人は思い込みが激しく、犯行は「仕方がないこと」というような、さも自分の行いは正しいと言わんばかりの弁明をしているということ。

自分が不運なのは世の中のせいで、自分ではない。という非常に単純な自分に都合のいい言い訳でしかなく、利己的の最たるもの。

こういう彼等の身勝手な思考の末の犠牲者の方々を想うと、なおさらやるせない想いや怒りをおぼえる。

遺族の人たちにはとうてい今は言えないが、残念ながらこういう理不尽なことはいつの時代でもおきる。

それを法律にばかり頼ってしまうと、解決にはならない。

孔子も言っていたが、道徳的な内面での解決方をとらないと、いつまでたっても解決にならない。

いくらでも類似した事件はおきてしまう。

しかし、昨日の新聞では受刑の低年齢化を実施するという記事があった。

法整備は必要だが、日本ではそればかりに重点が置かれているように映る。

最も期待するのは、こういう凶行防止のため、また起きてしまった後の心のケアのために、支えあう社会が豊かになることだ。

現在のように孤立しても生きていける社会では、間違った思考を熟成させてしまうことが可能だ。

人間はなんだかんだっても人間との良好な繋がりを望むものだと思う。

私達はこの世界をどういう社会にしていきたのか?

改めて突きつけられた課題だと思う。