■ヨハネス・ブラームスが若いころ作曲し始め、完成まで十年もかかった意欲作。

家にはこの曲のCDが2枚ある。カラヤン指揮ベルリン・フィルとハイティンク指揮ウィーン・フィル。

ともにいい演奏なのだが、夢中になるまでいかず、今までほとんど聴いてこなかった。

日曜日のFM-NHKにて、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルでこの『ドイツ・レクイエム』を放送した(昨年10月ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ)。

この放送を聴いて、この曲に初めて強い興味をおぼえた。

ようやく、自分にあう演奏にめぐり合えたのだ。


■サイモン・ラトルのブラームス。今まではピアノ四重奏曲(オーケストラバージョン)以外はどうも今ひとつ物足りなさを感じていたのだ。

ブラームス特有のあの枯れた感じ、しっとりとした深さ、道に迷っているような不安な心・・みたいな味が薄かったからだ。

しかし、この『ドイツ・レクイエム』での演奏は違う。

怖いくらいの真剣さが、ぴりぴりと伝わる。それでいて優しく、響きは透明で美しい。

サイモン・ラトルが本領発揮すると、現実の厳しさを目の前に突きつけられたような厳粛さと怖さを感じる。

それは、彼が人生の本当の厳しさを知っているのだろうか・・。

そんなことを想い起こさせる。


■作家の藤沢周平さんは自分に非常に厳しく生きた。

どんなに売れる作家になっても自分の住む家はこじんまりした平凡な家だったそうだ。

彼の小説から漂う人間の本性の怖さは、読んでいて本当に心が凍りつくことがあった。反対に暖かい人間描写などは芯から暖かく、希望を与えてくれる。こういう本物の作家は少ない。

人が成長するのは、こういう怖さを(小説でもいいから)体験するところにもあるのかもしれない(日常の生活だけでは、深い感情になる機会はそんなにないし、一時的であるが回避できる手段はいくらでもある)。

怖さばかりではない。本気の感情。喜怒哀楽をしっかりと体験することは考えられているより大切なことなのだろう。

サイモン・ラトルがつくりだすベートーヴェンやマーラーではこういう本気の感情の体験ができる。

『ドイツ・レクイム』を聴いてそんなことを考えた。

これからのラトルとベルリン・フィルの未来がとても楽しみだ。