■映画『鉄道員』の続きです。

優れた作品は人にいろんなことを考えさせるもの。


さて、『鉄道員』に出てくるサンドロ少年とお父さんの関係を見ていきたい。

お父さんは、小学校1・2年位の幼い息子サンドロに対して、1人の立派な人間として接している。

「子供だから」とか「まだ幼いから」とかという意識はあまりないように思えた。

叱るときは大人に叱るように叱る(かといってそこには愛情があるので決して乱暴ではない)。

反対に会話をする態度も、ごく普通の大人に話しかけるようなもので、内容も簡単にかみくだくようなことはしない。

お父さんはこのサンドロ少年に敬意をはらっているのだ。

いっぱしの人間として見ている。

だから、子供もそのような扱いをされていることで、自分は認められた存在だと自覚する。

これは、考えて見れば、ごくあたりまえの関係なのだ。

変に”子供”を意識する必要などないのだ。

これが、今の日本ではちょっと履き違えたような所がある。

「子供のため」と称して過剰に大事に扱ったり、反対に遠ざけたりする場合がある。

そうされる子供はそれを敏感に感じ取って、その扱いを不満に感じるだろう。

言い換えれば、人間として一人前の扱いをされていないと感じてしまうのだ。

最近のある調査結果で、日本の女性は料理をしない傾向になっているという。

しかし、自分の子供には料理を覚えて欲しいらしく、子供へのクッキングビジネスが流行っているという。

だが、そんな都合のいい話があるだろうか?

自分が嫌だ、面倒だ、時間がない、と言って手放したものを、自分の子供にはさせたい、任せたいというのはどこかおかしくないか?

また、それを支援する企業も金儲けを主眼に置いているので、骨抜き同然だ。

これは、いかにも今の日本らしい現象だ。


■僕は子供も大人も垣根はないのだと思うようにしている。

さらに、人間はどんな人間も同じ。肩書き、年齢、身分などは、一定の人が決めた戯れ言のようなもので、本当はそんなものは、無い。そう信じるようにしている。

さらに人間以外の生き物も同じ仲間。大切にしないといけない。(ちょっと聖人君子みたいだけど^^;)

地球の何十億年という途方もない歴史のなかで、たまたま今生きているだけの仲間。

100年後には今の人間や生き物はみな入れ替わり、違う人間・生き物が暮らしているのだ。

そう考えると、小さいことでいがみ合うのではなく、楽しく、仲良くするのがいいんじゃないかと思うのだが、実際はそう簡単にはいかないことも知っている。

話を元に戻そう。

『鉄道員』での親子の関係は、日本の映画監督である黒澤明さんも同様だったようだ。

晩年の黒澤さんは、孫と接するとき、一人前の大人と同じ接し方をしたそうだ。

その言葉では難しすぎて孫は理解できないだろう、という言葉で平然と会話し、楽しそうに遊んだそうだ。

僕はこのエピソードを随分前に知ったのだが、いつまでも覚えている。

それは、僕もそうなりたいと思い続けてるからなのだろうか。

自分の子供にも、改めてそのように接するようにしよう。

あと、よその子共にも同じように・・・

『鉄道員』から、そんなことも考えた。

じゃんじゃん