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■“政府は国民の鏡である”というようなことを福沢諭吉は言っている。

国(政府)をよくするには国民が賢くならなければならない、とも。

先頃話題になったホワイトカラーエグゼンブションの法案提出は断念された。

僕は、今の日本にはこの法案は即さないと思っているので、これはこれで良かったと思うが、こういう考えが普通に出てくること事態は考えもの。

物事にはすべて多面性がある。

発案者は、ホワイトカラーエグゼンプションなどの新しい考えを提案し、それを浸透させるとき、有益な面だけを強調するものだ。

我々はその提案がどういうものかを見極め、周りに流されることのない自己の考えを持ち、判断しなくてはならない。

その為に、1人1人が賢くならなければ判断はつかない。

賢くなるといっても学校の勉強のように通り一辺倒な浅い知識だけでは役にたたない。

全体的・普遍的な学習が必要だろう。

もっと噛みくだいて言えば、世の中を見る目を養う勉強。

これは今のところ読書がもっとも有効な手段だと思う。

縦(過去から現代までの歴史)と横(現代における広範囲思考)の書物。

それに良い人間関係というか、良い意味で刺激し合える関係。ここからは自分が思ってもいなかった刺激的な意見が聞けて物事の視野が広がる。

何も読書にかぎらず学習の機会は山ほどある。

それにはまずは自分の心の持ちようかもしれない。「もっと良い世の中にしたい」とか「自分が住みやすいと思える社会にしたい」とか。


■今の日本の状況をつくったのは、”見えざる市場の手”ではないが、世の中全体の雰囲気というか流れの結果、できあがった社会状況だと思っていた。

しかし、ホワイトカラーエグゼンプションのように国全体の政策として法案提出する人物がいるとこを考えると、少人数の人間の関与が大きいのではないかとも考えられる。

だからこそ、発言力のある政治家や経営者の話は気をつけて聞かないといけないだろう。

原因がはっきりしているのだから。


■ここんとこ往年の名画をよく見るのだが、映画も感覚的要素がかなりデカいと思った。

クラシック音楽はほとんどが耳から受けるもので、簡単に言うと”抽象的な芸術”。

映画はストーリーがあり、時代背景や登場人物もしっかり見えているせいか、直接的に受ける要素が大きく、目で見えるものを頼ってしまう。

しかし、すばらしい映画を見た後のあのなんともいえない気持ちよさや充実感は直接的なものだけでなないようだ。

実は音楽と同じく感覚的な要素が非常に大きいのではないだろか。

ジャン・ギャバンやジョン・ウェインなどが主演する映画を見ると、いつまでも彼らのしぐさや態度、物腰、話し方、生き方、など映画の内容とは直接関係のないものまで受け取るのだ。

ここが、映画の素晴らしさだろう!

もちろんそれには監督の功績は大きい。

映画の出来は監督いかんにかかっている。

フェリーニやベルイマンの作品はまだほとんど見ていない。

これらの監督作品は宝の山だ。

できれば劇場で観たいもの。

じゃんじゃん