■心が空虚になったり、どことなく落ち着かなくなったら、やはり読書が一番いい。

とくに何かあったというわけでもないのに、なんとなく気持ちが乾くときがある。(この心境って、年齢を重ねるごとに増えるのかな?若いころってそんなこと無かったと思うのだが・・)

気力がないからと言ってTVでもつけようものなら逆効果のときが多い。

昨夜はアルフレード・ブレンデルが弾くベートーヴェンのピアノソナタの第16番と17番を聴きながら、『忘れられた日本人』(宮本常一著)をゆっくり読んでいた。

いつもは音楽を消して本にだけ集中しているが、このときは音楽も同時に楽しみたかった。

ブレンデルの奏でるベートーヴェンは激しくはなく、しっとりとしており、気持ちが落ち着くのだ。音楽を聴く暖かみが感じられ、いつまでも接していたいと思うような自然な音なのがいい。


■この『忘れられた日本人』は昭和14年以降、著者が日本全国を歩いて、その土地の人々からじかに話を聴いたのをまとめたもの。

民俗学者である宮本さんの着目ポイントは的確で、読んでいて実に面白い。

こちらも実際にその話を聴く場に居合わせているかのような現実感がある。

これを読むと、昔の人は自然に近い生活をおくっていたんだということがよくわかる。

自然に近いということは、それだけ緩急が激しく、苦しいときはすぐに生死に直結するほど苦しいもの。

また、その反対の歓び。素朴ではあるが大きな歓びを感じていたようだ。

何よりも思ったのは、人間も生きものの1つであるということと、実に大胆で自由方便な考えで暮らしていたんだということだ。

夜這いの話なんてのは本当に面白い。

昔の田舎ではだれでもあたり前に夜這いをした。

「それくらいしか楽しみがない」という。

この当時の女性はおおらか。夜這いにくる男を断ることはあまりなさそうだ。

もっとも、夜這いに行くには事前にそれなりの確信があるのだという。

昼間に冗談の2つ3つでも言って、相手の女性がそれを“うけれ”ばOKだということだ。

しかし、真っ暗で家族がすぐそばで眠っている家に忍び込み、それなりのコトをするというのは大胆きわまりないこと。

「なかには悲劇もあった」というが、その時代は今よりもずっとおおらかだったからそんなことが出来たんだろう。

その話の関連であるお年寄りが「今(昭和30年頃)の若者は度胸がない」などと言っていた。

なんのことかと思ったら、女性を獲得しようという強い意気込みが感じられないというのだ。

夜中に何里も離れた村まで行って気に入った女性に夜這いをかけることをしなくなったことを嘆いているのだ。

これを読んで思わず笑ってしまった(笑)。

いつの時代でも同じなのだろうか。

僕が今の若い男にも(同じ表現(笑))同じ印象をもっていたからだ。

異性に興味がありそうで、ないような。

あったとしても、尻ごみして直接面と向かってあたらない。
まったくもどかしさを感じている。

気に入った人が現れたら第三者や間接的な手段を使ったりしないで、面と向かって話して気持ちを伝えればいいのに。

それ以外に何があるというのだ。