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■昨日もアーノンクールを聴いた。
コンチェルトムジクス・ウィーンとのバッハ『マタイ受難曲』第二部。ヨーロッパ室内管弦楽団とのモーツァルト交響曲第40・41番。それにウィーン・フィルとのドヴォルザークの交響詩とスラヴ舞曲(FMエアチェック)。

なぜか、毎日アーノンクールの指揮に接している。
彼の音楽はどれも厳しい響きをもっていて、決して気楽には聴けない。
ときには、聴いていて息苦しささえ感じてくる。
でも、そのような厳格さのなかに“真実の光”を感じるし、楽曲のもつ本当の意味を表しているような気がする。
たぶん、それに接したいのだろう。
僕自身が何かそういう“充実感”を求めていることの表れかもしれないと思っているのだ。
(来週火曜日FMでアーノンクール指揮ウィーン・フィル定期演奏会のもようを放送する。曲はシューマンのラインとシューベルトの未完成など。非常にたのしみ。)

■「ウィーン・フィルってどうしてこんなにふくよかな響きがだせるんだろうか・・」
ドヴォルザークのスラヴ舞曲を聴いていて、決して他のオーケストラでは真似できない理想の響きのことを想う。
聴く人の心をあたたかくする。楽しい気分にさせてくれる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とはそういうオーケストラだ。
彼らの使う楽器は独特のものらしい(個人の持ち物でなく学友協会という公的機関の資産)。また、演奏スタイルもおもしろいもので、お互いにわざとズラして合奏するらしいのだ。微妙なズレがあのふくよかさをかもし出すのだろうか。だとしたら神業だ。

■音楽のもつ力には相当なものがある。
学生のころは女性にふられるたびに音楽に助けてもらった(笑)。
ふられた直後のあの神経がすこぶる高ぶっていて、睡眠などほとんど出来ないギリギリの精神状態のとき。
ベートーヴェンを聴く。
エキサイティングなシンフォニーが身体のなかに染み込んできて、痛んだ心に力強いエネルギーをそそぎ続けてくれたのだ。
第3番の第1楽章の展開部。第7番の終楽章の怒涛の嵐。第9番のスケルツォ。
それこそ何度も何度も聴き続ける。
すると、徐々に再生されてくる自分に気がつく。そのころはだいぶ立ち直っている。
音楽の力はこのころから信じている。
「ベートーヴェンを理解したかったら、失恋することだよ。」と友達に言ったことがある。

苦しいときにしか、わかることができない何かがある。
それは人の心の痛みもそうだろう。
たいていの人は苦しいとき、早くそこから脱することをまず考える。
しかし、この苦しいときは学ぶときでもある。自分を磨くというのかな。
じっくり苦しみと向き合う余裕があればいいが、そんな余裕がもてる人など少ない。
しかし、心の傷もある程度時間はかかるものだから、慌てて抜け出ないほうが実はいい。

ベートーヴェンの音楽は苦境に陥っている人の最良の友となる。

なぜ、ベートーヴェンはそういう音楽が書けたのだろう。

おそらく、彼自身がそういう幾多の苦しみのなかに置かれていて、音楽を書くことによってそこから救われたのだろうと思っている。

と、ここまで書いた後、久々に第9のスケルツォを聴こうとラトル指揮ウィーン・フィル盤を聴いた。
それが、ひさしぶりにベートーヴェンに接したせいか、おもしろくて、おもしろくて!
第2、3、5、7、8番もかいつまんで聴いた。ルービーもジャンジャン飲みながら(笑)
すっかり寝不足ですわ^^;