■これはウディ・アレン監督の映画『マンハッタン』終盤のセリフ。
意気消沈していた主人公(ウディ・アレン)は恋人にこう言われて励まされる。
そのときのアレンの安心したような、歯がゆいような、嬉しいような微妙な表情・・
彼の映画の中でも最も好きなシーンだ。
時たま僕もそう思う「もっと人を信じなくちゃ・・」

「人を信じる」ということは、自分の一方的な気持ちであって、そう自分が思っていたら「信じている」ということになる。
それを相手がどう思おうが、それは実際には関係ない。
しかし、一方的に「信じている」では寂しいものだし、苦しいものだ。
これは「愛する」ということと同じかもしれない。
愛するという気持ちも基本的には一方的で、それに相手がどう応えるかということとは別だろう。
「あなたを愛しているから、あなたも愛してくれ」という交換条件的な欲求はどこか違う気がする。
しかし、一方的な愛も苦しいもの。
やはりどこかで自分の想いに応えて欲しいという願望がある。
一歩ひいて考えると、人の心ってつくづく不思議なシステムなんだなあ、と思う。
どうしてもお互いの気持ちが通い合うことを望むようになっている。
そのことによって人類は今まで発展してきたのかな(とは言い過ぎかな・・)
とは言っても、やはり人は人なしでは満足できないし、生きてはいけないものかもしれない。
このことは、最も根源的な部分であり、変調をきたしてはいけない部分だ。

ちょっと話は違うが、人はお互いを100%全て理解しあえないじゃないかと思っている(「理解する」と「信じる」は違う内容)。
なんともクールな考え方で寂しいのだが、どうしてもそう思ってしまう。
自分でも心の中のすべてなんて絶対分からないくらい複雑だし、ときには自分が思っていた性格以外のこともやってしまう。
でも、理解しあえない部分はどうしてもあるが、できるだけ温かい人間関係を築きたいと思う。願う。
その努力こそが大切だと思うのだ。

■アメリカのボストンの人々はなかなか新参者を認めない街柄だそうだ。
しかし、生活していくうち、何かのきっかけでその人が住民に認められると、その人は生涯みんなから認められて暮らすことができる。

こういうエピソードを聞いた。たしか小澤征爾さんがボストンで生活したときの印象だったかな。

「人を信じる」「人を認める」ということは、覚悟というか「俺がそう決めたんだ!」という決意みたいなものもあるんじゃないかな。
たとえ、認めた人物がなんらかの罪を犯したという噂がたっても、すぐにはその噂を信じずに、その認めた人物を信じて待つ。
そう簡単にコロリと手のひらを返さない。
こういう気持ちは好きだ。
一度認めたものは、よっぽどじゃない限り覆さない。
そうでないと、浮き草のように、世間の噂やみんなの動向で、こっちへ行ったりあっちへ付いたりと、自分の「実」がない。
こういうのは望まないことだ。

待つこと。待ってみる。結論を急がない。

僕にとっても必要なことだ。