■年始早々痛ましい事件が起きた。
またしても、“普通のおとなしい子”による凶行。
先日渋谷でおきた事件は、現実には考えられないくらいの異常な内容。
こういう事件は10年に一度起きるか起きないかの頻度であったが、今の日本は年に数件も発生している。
殺人事件ということでは月に10件以上も発生しているのだろう。
そうとうな件数だ。
日本はすっかりこういう異常な国になってしまったのだろうか。

昨日の夕刊紙ではいつものように興味本位的な見出しが目立つ。
しかし、一歩さがって考えるとこの加害者の次男も実は被害者なのだと思う。
この家の家庭環境や外での日常生活は知らないが、彼の気持ちがどこか屈折されてしまうような環境にあったのではないかと推測する。
もちろんどんな人間でもいろんな問題をかかえ、それと戦って成長している。
何の問題もない家庭などはないし、誰しも社会と矛盾を抱えながら生きている。

しかし、この青年をとりまく環境と、彼の問題処理能力に大きな隔たりがあって、屈折した気持ちがどんどんたまっていく。それが一気に爆発してこのような凶行に及んでしまう。

残念ながらこのようなことは今後も起こってしまう土壌にこの国はあると感じている。
この問題の底にはさまざまな要因が絡んでいるが、その1つに表題のようなことがあるのではないか。

日本は子供と経済を一緒に考えすぎている。
むしろ子供の購買意欲を経済はあてにしている。
大型のショッピングセンターに行ったり、TVCMを見るとすぐにこのことが頭をもたげる。
明らかに過剰な投与なのだ。
例えば、ゲーム産業がここまで開けっぴろげに歓迎される現状をいつも不思議な目で見ている(大手新聞でもゲーム産業成長を歓迎の目でみている。もっとも市場経済主義そのものが経済成長なくしては存続し得ないシステムだが・・)。
ゲームにもいろいろ種類がある。
いい影響か悪い影響かは判断がついていない。(どこかの研究機関で調査をしているのだろうか?)
しかし、明確な証拠はないが、これだけ日常がゲームに侵食されてる状況はあきらかに影響があるはずだ。しかも良くない方向に。

誰かに作られたTVゲームは画面を見ながら遊ぶもの。
いわば、目と耳で遊ぶわけで、そこには自分のイマジネーションは不要だ。
イマジネーションを使わない。
ここが問題だと思っている。
それによる弊害は明らかだとみている。

コミュニケーション不足もイマジネーション能力の欠如となんら関係のないことではないだろう。

やはり、子供の成長と経済成長は切り離さなければならないことじゃないのかな。

『二兎を追うもの一兎をも得ず。』かな?

それよりも、この国の今の“体質”に問題がある。
わかりやすく言えば、さして子供のことを真剣に考えようとしていないのだ。

100年後の地球には今の人間のほとんどすべてはいない。入れ替わって子孫が暮らしている。
将来的な地球と人類の発展を考えると、どうしても将来をつかさどる子供に感心が高まっていいはずだ。
でも、それが芯の部分から見えない。
「今だけ楽しければいい・・」という自己中心的な身勝手な精神が薄く広く蔓延している。
根本から歯車が狂っているのだ。