■親類が引っ越すというのでそのお手伝いが主でした。
といっても大きな家具などは引っ越し業者が行うので、小物中心。
しかし、モノってけっこう増えるんですね。それなりにありました。
ウチの家でも必要なモノは極力抑えるようにしているんですが、足の踏み場のない部屋もあるほど(^_^;
僕自身で言えば、モノは少ない(はず)
CDは・・最近は数えていないが、1300枚(ほとんどクラシック)くらいだろうか・・多いかな・・
あとは、本と小さいオーディオ(オーディオにはまったく凝らないんすよ)。
それに服もそんなにたくさんないし・・ルービーと焼酎と、まあ、そんなもんかな。
少ないほうだと思いますよ。
■そんな引っ越しの最中、本屋さんに立ち寄れる時間があった。
書店ではいつも音楽雑誌と文芸書や文庫コーナーをうろつく。
日曜の新聞で紹介していた『時間意識の近代』(西本郁子著)を探すが、ない。
岩波文庫のコーナーで『グリム童話』を見つけた。
グリムは最近すごく関心がある作家。
映画にもなった『赤い靴』の原作を読んだとき(たぶん映画と違う内容だった)なかりショッキングだった。
「そんな結末だったのか・・」と。
しかし、グリムはショッキングさを強調したいのではなく、人間の真実をたんたんと表現しているだけにすぎないと思う。
これを子供に触れさせるのはいいことだと思うし、大人でも面白く読める。
よく“子供用”に原文のままでなく、オブラートで包んだように残酷さを削いだ内容としてしまうことが多い。
これは作家の意図と違うばかりか、物語自体からかけ離れたものになる。
一番いけないのは、大人が勝手に子供にとって都合のわるいモノと決め付けて『隠す』『見せない』という態度。
そもそも子供はこういう残酷なものが好きだ。子供はすごく純粋だけと残酷なものだ。
だからといって将来事件を起こすような問題児となることはない。
逆にこの幼い時代にこういう残酷に触れていないと、人間形成がうまくいかないもの。
残酷を知らないと、やさしくする意味を知りえないというか、たとえ負の面でも本質を知ることは必要だ。
こういう考えは河合隼雄さんが再三主張していることで、僕ももっともだと思う。
ということで、この日は買わなかったが、近々グリムを読もうと思う。
もちろん子供にも読んで聞かせる。
■ストラヴィンスキーの春の祭典。
先のヤンソンスとコンセルトヘボウの演奏会では100%感動し満足しなかった。
でも、気になってしょうがない。
土日は春の祭典をかなり聴いた。
改めて気がついたが、この曲は大好きなのだ!
ほとんどのフレーズで自分がすごく楽しんでいるし、興奮しているのがよく分かる。
ヤンソンスの演奏会でも、実にいろんな表情でこの曲を聴いていた。
声を出さずに笑ったり、にやけたり、驚いたり、うろたえたり、寂しい静寂に恐怖を感じたりもした。
実際はかなり楽しんだ演奏会だったのだ。
今朝はクリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルの演奏会(金曜日FMでのエアチェック)を聴きながらきたが、シューマンの交響曲第1番が良かった。
ティーレマンはつかみどころのない指揮者だと感じていて、CDでもあまり感心しない演奏だった。
しかし、このシューマンは主張がはっきりわかった。
冒頭から春の訪れをうれしくて仕方がない!といった興奮に満ちている。
テーマの反復では2回目を強調し、意味を強くしている。
ちょっと注目の指揮者となった。
といっても大きな家具などは引っ越し業者が行うので、小物中心。
しかし、モノってけっこう増えるんですね。それなりにありました。
ウチの家でも必要なモノは極力抑えるようにしているんですが、足の踏み場のない部屋もあるほど(^_^;
僕自身で言えば、モノは少ない(はず)
CDは・・最近は数えていないが、1300枚(ほとんどクラシック)くらいだろうか・・多いかな・・
あとは、本と小さいオーディオ(オーディオにはまったく凝らないんすよ)。
それに服もそんなにたくさんないし・・ルービーと焼酎と、まあ、そんなもんかな。
少ないほうだと思いますよ。
■そんな引っ越しの最中、本屋さんに立ち寄れる時間があった。
書店ではいつも音楽雑誌と文芸書や文庫コーナーをうろつく。
日曜の新聞で紹介していた『時間意識の近代』(西本郁子著)を探すが、ない。
岩波文庫のコーナーで『グリム童話』を見つけた。
グリムは最近すごく関心がある作家。
映画にもなった『赤い靴』の原作を読んだとき(たぶん映画と違う内容だった)なかりショッキングだった。
「そんな結末だったのか・・」と。
しかし、グリムはショッキングさを強調したいのではなく、人間の真実をたんたんと表現しているだけにすぎないと思う。
これを子供に触れさせるのはいいことだと思うし、大人でも面白く読める。
よく“子供用”に原文のままでなく、オブラートで包んだように残酷さを削いだ内容としてしまうことが多い。
これは作家の意図と違うばかりか、物語自体からかけ離れたものになる。
一番いけないのは、大人が勝手に子供にとって都合のわるいモノと決め付けて『隠す』『見せない』という態度。
そもそも子供はこういう残酷なものが好きだ。子供はすごく純粋だけと残酷なものだ。
だからといって将来事件を起こすような問題児となることはない。
逆にこの幼い時代にこういう残酷に触れていないと、人間形成がうまくいかないもの。
残酷を知らないと、やさしくする意味を知りえないというか、たとえ負の面でも本質を知ることは必要だ。
こういう考えは河合隼雄さんが再三主張していることで、僕ももっともだと思う。
ということで、この日は買わなかったが、近々グリムを読もうと思う。
もちろん子供にも読んで聞かせる。
■ストラヴィンスキーの春の祭典。
先のヤンソンスとコンセルトヘボウの演奏会では100%感動し満足しなかった。
でも、気になってしょうがない。
土日は春の祭典をかなり聴いた。
改めて気がついたが、この曲は大好きなのだ!
ほとんどのフレーズで自分がすごく楽しんでいるし、興奮しているのがよく分かる。
ヤンソンスの演奏会でも、実にいろんな表情でこの曲を聴いていた。
声を出さずに笑ったり、にやけたり、驚いたり、うろたえたり、寂しい静寂に恐怖を感じたりもした。
実際はかなり楽しんだ演奏会だったのだ。
今朝はクリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルの演奏会(金曜日FMでのエアチェック)を聴きながらきたが、シューマンの交響曲第1番が良かった。
ティーレマンはつかみどころのない指揮者だと感じていて、CDでもあまり感心しない演奏だった。
しかし、このシューマンは主張がはっきりわかった。
冒頭から春の訪れをうれしくて仕方がない!といった興奮に満ちている。
テーマの反復では2回目を強調し、意味を強くしている。
ちょっと注目の指揮者となった。