■昨夜の芸術劇場でのアーノンクール指揮ウィーン・フィルによるモーツァルトはさすがであった。

はじめの39番では、あまり大きな身振りで指揮することなくオケに任せている感があった。川崎で聴いたときと同様の解釈で、改めて「ああ、こうだったなぁ」と記憶が思い出されて楽しかった(川崎よりも身振りが少なかった。それは、数回の公演で39番はほぼ納得のいく粋に達したからだろうか)。
この39番を聴いている限り、モーツァルトに関しては、アーノンクールはオケの自発性を尊重して激しい指示はしないものかと思っていた。

しかし、あとの2曲は違った。

テンポのとり方や目立たない楽器の浮き上がらせ方など、従来と違う表現で聴く側を常に刺激しているが、音楽そのものの内容が壮絶である。

気軽に聴けるモーツァルトではない。

40番の終楽章での展開部への移行部分(125~133小節)での解釈は、「なるほど・・」と思った。
ああいうはっきりした音楽の区切り方。
「モーツァルトはこういう風に演奏されるのを望んでいたんではないだろうか?」と思うほどの説得力。
こういう箇所は随所にある。

思えば、ブルーノ・ワルターのモーツァルトも説得力が強い。
同じくウィーン・フィルを指揮した交響曲25番と40番をよく聴くが、アクセントの付け方がドラマチックなのだ。
今回のアーノンクールの演奏を聴いてワルターのことを思い出した。

このTVはルービーを飲みながら観ていた。
そのうち、だんだん酔ってきたのと、あまりの激しい演奏に聴くのが辛くなったりした(笑)
ときおり、前日に録っておいたウディ・アレン監督の『おいしい生活』を観た(全然違う内容じゃん!アーノンクールさん失礼。しかし、この映画、最高に面白い!家で大笑いしてしまった)
アーノンクールは知り合いにDVDで録画してもらっているので、後日改めてゆっくり観るとしよう。

ジャンジャン