■先日の読売新聞日曜版の書籍紹介コーナーで、名前は忘れてしまったが、お坊さんで作家の人の言葉が目にとまった。
いまの青少年によるイジメ問題で、「なんのために人は生きるのか?」という根源的な問いが発せられている。
これについて、この作家はきっぱり「人は生きる目的はわからないもの」と言い切る。
さらに・・
「リストカットして死を考えている人にとって、人生は楽しいものだからがんばれ!と言っても何の意味もない。ただ、生きてくれと言うのみだ。」
なるほど、装飾のない言葉であり、そのとおりかもしれない。

人は生きる目的はわからないものだろう。
それを探すのが人生の目的かもしれない。
だから、「これが生きる意味ですよ。」という普遍的な回答はあるはずがない。
目的があるとすればそれは個々で見つけ出す。
その“目的”はみな別々でいい。
正反対の目的が見つかっても「それは違う!」とは言えることではない。
違ったとしたら自分でしか気づき訂正するしかできない。

■山本周五郎さんも事あるごとに言っていた。
「人生は徒労である」と。
偉大な業績を挙げたとしても、結局は徒労でしかない。

どんなにもがきあがいても、所詮は運命の中でのこと。

だからこそ、生きることだけで、目的は達成されるということが、うすうす見えてくる。

しかし、すべてが徒労とは思えない。
モーツァルトやベートーヴェンの業績は徒労とは思えないからだ。
(周五郎さんの言葉の真意はもっと違ったものかもしれないが・・)