ゆうさんの記事に触発されて書きました。
■いじめの事件と報道が過熱している。
いじめられる当人の絶望は少なからず理解できる。
僕が通った中学校は当時かなり荒れていた。
クラスメイトであるY君は公然といじめられいた。
というか・・
グレた連中の遊び的暴力の標的になっていた。
休み時間になるとときどきトイレで殴られいるのをみんな知ってた。
殴られた頬を押さえながら涙をこらえて教室に戻ってくるY君。
このことを思い出すと、同情の念というか惻隠(かわいそうに思うこと)の思いは今のほうが強い。
一部の荒れている連中による暴力。
でも、これは今世間で言われているイジメとはちょっと違う気がする。
単純に言うと『卑怯』であるが、『陰湿』ではなかった。
クラスメイトの大半はY君の見方。でもどうすることも出来ない。
手助けすれば今後からは自分がやられる。
現に、勇気を出して手助けた奴が翌日からやられる。
僕はある1人のワルに目を付けられていた。
幸運にもそいつから暴力は受けずに済んだ。
それはたぶん僕の近所の幼馴染の友人が、この学校での一番のワルで僕に直接手出しができなかったからだろう。
しかし、中学時代の3年間は楽しい思い出はない。
気持の中はいつもビクビクしていた。
卒業式の嬉しさといったらない。変な話だが、今でも最高に嬉しい思い出だ。
「ココからやっと開放される・・」
捕虜生活から釈放されたような気分だった。
■今のイジメは普段そんなに悪くない連中が、1人を寄ってたかってこっそりと攻撃する。
暴力でなく、言葉や態度で。
思えば何でもないきっかけからイジメに発展する。
陰湿極まりない。
子供は苦しみの叫びのやり場がなくて、国に直接訴えるようになった。
■このような子供社会の現象は、結局は大人社会の反映だと思う。
子供は大人の鑑(反対だったかな?)
大人は子供よりも生と死を意識していない。
忙しい生活に追われ、人生の深層に立ち入っていない。
もっとも、そうなっているのは社会全体の動向が原因であるので個人個人が悪いということではない。
いや、個人個人がそうだから、社会全体が薄っぺたく真のない状態になっているのかも。
どうもこの国は、表面的に生きるようにすべての物事が作用しているように感じる。
■しかし、今こそ生きるとか死ぬとか根源的な事を本気で考えないといけない。
日本はそういうことを考えなくても生きてはいける社会ではあった。
でもそれは本当の生き方ではなかったのかもしれない。
結局は、生と死を真正面から捕らえなければまともに生きることはできないんじゃないだろうか。
全体的にみて、日本は“やさしさ”が薄れてきた。
他人が苦しんでいることがイメージできないような人が増えている気がする。
物事を頭のなかで創造できない、というか、相手の心境を理解できない、というのかな・・
この改善策をいつものように国に期待するようでは、何の進歩もない。
われわれ一人一人の大人が考えて答えを出さなくてはならない。
もちろん僕自身も。
考えて行動にでなければならない。
何をやったらいいのだろう?何ならできるだろうか。
■いじめの事件と報道が過熱している。
いじめられる当人の絶望は少なからず理解できる。
僕が通った中学校は当時かなり荒れていた。
クラスメイトであるY君は公然といじめられいた。
というか・・
グレた連中の遊び的暴力の標的になっていた。
休み時間になるとときどきトイレで殴られいるのをみんな知ってた。
殴られた頬を押さえながら涙をこらえて教室に戻ってくるY君。
このことを思い出すと、同情の念というか惻隠(かわいそうに思うこと)の思いは今のほうが強い。
一部の荒れている連中による暴力。
でも、これは今世間で言われているイジメとはちょっと違う気がする。
単純に言うと『卑怯』であるが、『陰湿』ではなかった。
クラスメイトの大半はY君の見方。でもどうすることも出来ない。
手助けすれば今後からは自分がやられる。
現に、勇気を出して手助けた奴が翌日からやられる。
僕はある1人のワルに目を付けられていた。
幸運にもそいつから暴力は受けずに済んだ。
それはたぶん僕の近所の幼馴染の友人が、この学校での一番のワルで僕に直接手出しができなかったからだろう。
しかし、中学時代の3年間は楽しい思い出はない。
気持の中はいつもビクビクしていた。
卒業式の嬉しさといったらない。変な話だが、今でも最高に嬉しい思い出だ。
「ココからやっと開放される・・」
捕虜生活から釈放されたような気分だった。
■今のイジメは普段そんなに悪くない連中が、1人を寄ってたかってこっそりと攻撃する。
暴力でなく、言葉や態度で。
思えば何でもないきっかけからイジメに発展する。
陰湿極まりない。
子供は苦しみの叫びのやり場がなくて、国に直接訴えるようになった。
■このような子供社会の現象は、結局は大人社会の反映だと思う。
子供は大人の鑑(反対だったかな?)
大人は子供よりも生と死を意識していない。
忙しい生活に追われ、人生の深層に立ち入っていない。
もっとも、そうなっているのは社会全体の動向が原因であるので個人個人が悪いということではない。
いや、個人個人がそうだから、社会全体が薄っぺたく真のない状態になっているのかも。
どうもこの国は、表面的に生きるようにすべての物事が作用しているように感じる。
■しかし、今こそ生きるとか死ぬとか根源的な事を本気で考えないといけない。
日本はそういうことを考えなくても生きてはいける社会ではあった。
でもそれは本当の生き方ではなかったのかもしれない。
結局は、生と死を真正面から捕らえなければまともに生きることはできないんじゃないだろうか。
全体的にみて、日本は“やさしさ”が薄れてきた。
他人が苦しんでいることがイメージできないような人が増えている気がする。
物事を頭のなかで創造できない、というか、相手の心境を理解できない、というのかな・・
この改善策をいつものように国に期待するようでは、何の進歩もない。
われわれ一人一人の大人が考えて答えを出さなくてはならない。
もちろん僕自身も。
考えて行動にでなければならない。
何をやったらいいのだろう?何ならできるだろうか。