■先日民放で放映したモーツァルト生態250周年の特集番組を少しだけ見た。
少しだけなのでなんとも言えないが、どうもこういう番組は必要以上にオーバーでいけない。
モーツァルトは“天才”で、ものすごい偉大な人物というような語り口。
天才と感じるかどうかは聴く人それぞれが決めれば良いこと。
モーツァルトもそんなに持ち上げられるとむずがゆくて仕方ないんじゃないだろうか(笑)
作曲活動は生活に必要なことという要素もあっただろうが、彼は音楽が本当に純粋に好きであった、というのが基本で、天才とかなんだとか自分では意識しなかったのではないか。
真の偉大な人物とはえてしてそういうものだ。
世間の賞賛などどこ吹く風みたいな。
この番組のように大勢でわいわい賑やかに論じている姿は、モーツァルトの本当の姿を歪曲しているようにも見える。
民放の番組構成パターンはいつも一様で、どうも真実味に欠ける。
モーツァルトを理解するには、ただ単にコンサートホールに行って実演を聴けばいいんじゃないだろうか。
人間であれば誰しもモーツァルトを理解する能力はもっている(人間以外もモーツァルトを理解できるという説もある)。
要はそれにきちんと接しているか接していないかだけの違いでしかない。
■僕はモーツァルトの曲についてはこう感じている。
まず、ひとことで表すなら“愛らしい”という言葉が浮かぶ。
昨夜聴いた交響曲第39番K453(ワルター指揮コロンビア交響楽団)でも、どの場面をとってみても実に“愛らしさ”に満ち満ちていて、幸福な気持ちで心がいっぱいになる。(とくにワルターの演奏がそれをいっそう助長させている。これは名演だなー)
それに、生命力が溢れている。これは聴く側が疲労している状態だと輝きが強すぎて聴くのが辛いほど。比類なく輝かしい音楽だ。
あと1つ。今言ったことと矛盾するかもしれないが、深い悲しみも持ち合わせているのだ。
ピアノ協奏曲23番の2楽章などは、自身の悲しみをポツリポツリとピアノで告白しているようだ。でもこの悲しみもショスタコービッチのような暗くて寒い悲しみではなく、救済の色も持ち合わしている。
■そうは言ってもまだまだ理解したとか言えない。
彼の音楽はあまりに深くて底がどこだか分からない。
もっともっと聴いてこれからもモーツァルトの内面に入っていくことができるだろう。
これは非常に喜ばしいことだ!
これはモーツァルト以外の作曲家にも同様にいえる。
音楽を深く理解することは楽しいし、それ以上に精神的に深い域に達することにもなる達成感もある。
「音楽ほど哲学性の高い芸術はない。」といったクリスタ・ルードヴィッヒの言葉。僕は本当だと思っている。
少しだけなのでなんとも言えないが、どうもこういう番組は必要以上にオーバーでいけない。
モーツァルトは“天才”で、ものすごい偉大な人物というような語り口。
天才と感じるかどうかは聴く人それぞれが決めれば良いこと。
モーツァルトもそんなに持ち上げられるとむずがゆくて仕方ないんじゃないだろうか(笑)
作曲活動は生活に必要なことという要素もあっただろうが、彼は音楽が本当に純粋に好きであった、というのが基本で、天才とかなんだとか自分では意識しなかったのではないか。
真の偉大な人物とはえてしてそういうものだ。
世間の賞賛などどこ吹く風みたいな。
この番組のように大勢でわいわい賑やかに論じている姿は、モーツァルトの本当の姿を歪曲しているようにも見える。
民放の番組構成パターンはいつも一様で、どうも真実味に欠ける。
モーツァルトを理解するには、ただ単にコンサートホールに行って実演を聴けばいいんじゃないだろうか。
人間であれば誰しもモーツァルトを理解する能力はもっている(人間以外もモーツァルトを理解できるという説もある)。
要はそれにきちんと接しているか接していないかだけの違いでしかない。
■僕はモーツァルトの曲についてはこう感じている。
まず、ひとことで表すなら“愛らしい”という言葉が浮かぶ。
昨夜聴いた交響曲第39番K453(ワルター指揮コロンビア交響楽団)でも、どの場面をとってみても実に“愛らしさ”に満ち満ちていて、幸福な気持ちで心がいっぱいになる。(とくにワルターの演奏がそれをいっそう助長させている。これは名演だなー)
それに、生命力が溢れている。これは聴く側が疲労している状態だと輝きが強すぎて聴くのが辛いほど。比類なく輝かしい音楽だ。
あと1つ。今言ったことと矛盾するかもしれないが、深い悲しみも持ち合わせているのだ。
ピアノ協奏曲23番の2楽章などは、自身の悲しみをポツリポツリとピアノで告白しているようだ。でもこの悲しみもショスタコービッチのような暗くて寒い悲しみではなく、救済の色も持ち合わしている。
■そうは言ってもまだまだ理解したとか言えない。
彼の音楽はあまりに深くて底がどこだか分からない。
もっともっと聴いてこれからもモーツァルトの内面に入っていくことができるだろう。
これは非常に喜ばしいことだ!
これはモーツァルト以外の作曲家にも同様にいえる。
音楽を深く理解することは楽しいし、それ以上に精神的に深い域に達することにもなる達成感もある。
「音楽ほど哲学性の高い芸術はない。」といったクリスタ・ルードヴィッヒの言葉。僕は本当だと思っている。