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■ふたたび辺見庸さんが執筆された著書を読んだ。
『いまここにあることの恥』
これは今年書かれたもので、自身の大病後の講演会と断片的な文書を修めている。
辺見さんは生と死の境を行き来しているなかで、このときほど「書きたい!」という衝動を感じたことはなかったという。
以前読んだ『抵抗論』よりも率直に心に響く文章だった、

■僕はつねづね疑問に思っている。
今の日本人の政府に対する抵抗のなさや、あきらめ感は正常でないと。
このおとなしさは誰かが操作しているんじゃないかと。
この疑問は高校生のころからあった。
大学4年のときに山田洋二さんと話す機会があったときにも、これについて意見をくれた。
「世の中を疑う目を持ち、怒れ!」と。
辺見さんの著書にはつねにこうした視線を忘れないものがある。
というより、それが主題になっている。
「私はコイズミには関心がありません。ただ、よく考えてみれば、われわれはあのようなものどものを税金で多数飼ってやり、贅沢な生活をさせてやっている。いや逆に、われわれはいつしか彼らに飼われ、ほしいままに扱われ、操られ、もてあそばれている」と過激にいってのける。
でも、誇張している感じはうけない。

■政治をバラエティーのように放送するメディアには罪があると僕も思う。
ああいうのは、面白く扱ってはいけないのだ。
過剰に親しみをもたせてはいけない。
一線を画している部分をつねにもって、厳しい目で監視していなくてはならない、はずだ。
しかし、今の日本は”自然発生的・自発的なファシズム”ができあがっている。
国民は疑う心も持ち合わせていない。
目先の欲にばかり目が奪われ、モノを買うことばかり考えてしまうようにされてしまった。

辺見さんの言葉には本当に気をつけなければならない、真がある。