■先日、会社の同僚で飲み会をやったんです。
参加者は6名。
表面的には楽しいんだが、どうしても会話が浅くなるぶん満足感が少ないんです。
さらに酒の量もああいう雰囲気のせいか、いつもより増えてしまい二日酔いもアカン。

最近の飲み会はサシ(2人)がほとんど。
1対1じゃないとお互いの本心が出ない。
第3者がいるとどうしても遠慮しあったり、相手を気遣って自分を殺してしまう。
そもそも飲みたいと思う相手は、同時に2人も3人もいない。
だいたい1人の相手であって、その人とだけ話したい。
それ以外は本来の飲みたいという意図と違ってきてしまうのだ。

とは言っても、大勢の飲みはそれで悪い面ばかりではない。
あの軽くて何も考えないで良いという空間は、疲れきって気分転換していときや、重い会議が続いたあとなどは、いいんじゃないだろうか。
飲みたい欲求はみなそれぞれ異なる。
同じ欲求の人と飲むのがベストで楽しく、意義が深いものだ。

僕の場合は、真実の追究というと大袈裟だが、普段の生活では見え難い“芯”や“真”に触れたいと思っている。
それが触れられる時間は、音楽を聴いているとき、本を読んでいるとき、本当に親しい人と話しているとき、考えにふけっているとき、と書いてみると少なくないが、1日に占める時間は少ない。
“飲み”はアルコールにより、さらに自分を出しやすくなる。
相手にとってもそれは同じことなので、思わぬ自分の内面的思考が出てきたり、と、相乗効果があるのだ。
それがすごく楽しい。
隠しようがない人間性がでる。
それは怖いことかもしれないが、素晴らしい発見でもある。
そこまで深く相手の心に降りていかないと、その人間なんて理解できない。
その人を理解することにより、自分も理解できるようになる。
そんなものだと思う。