
『日常』というものは本質から目を曇らせる悪しき影響があるという。
日常に慣れる・・一般的なこの事にも善し悪しがある。
今、世界はどんな方向に向いているのか?
世界の中の日本がどんなポジションにいて、どこへ行こうとするのか?
こういう視点を忘れて報道に接するのは、メディアの意図する方向へ促されるだけ。
常に問題意識をもって接しないと、世の中の流れに流されるだけで自分もなにもなくなってしまう。
こういう本を読むと、改めて身が引き締まるし、忘れかけている大切ものを思い起こさせてくれる。
■通常私たちが接するメディアは、産業が中心となって、人々の購買意欲を刺激することに懸命だ。
それは、「余計な問題意識など持たなくていい。」と言っているようにも思える。
警戒心を削ごうという働きでもあるんじゃないかと疑いたくなるときがある。
表面的には平和であると、主張はしているが、内面の腐敗を正視していないようでもある。
しかし、一方で、今の現状を危険視する声も多くある。
それさえも、本当にそう思っているのか?
どれだけ深く真剣に思っているか?
という問題があり、この差は大きいという。
民放の報道では、悲劇的な事件や事故が起きた現場にリポーターが行って中継している。
前から感じていたことだが、彼らの伝える姿勢や意識と、被害に遭った人達の意識はどれくらい近づいているのだろう?と。
見たところ、あまり近づいていなくて、そこには大きな差がある。
この差が、“他人事”の事件という距離を感じさる。この距離感は見る側にも伝わる。
それが違和感を生じさせることにもなるし、事件の現実味を薄めてしまっていると思う。
民放のどこか興味本位的な報道をするのなら、NHKのような姿勢の報道の方がまだマシだと思う。