■佃善則氏が書いた『淀川長治が遺してくれたこと』を読んだ。
淀川さんはTV朝日の日曜洋画劇場の解説者として初めに親しんだが、氏が書かれた書籍やTVでのインタビューなどに触れたりして、映画に対する真剣な想いはある程度知っていた(実際は“真剣な想い”などという軽いものではなく、“後戻りできない覚悟”といった重いものだ)。
晩年はサントリーホールに隣接している東京全日空ホテルに住んでいたことも知っていたので、サントリーホールに行く際に「淀川さんにバッタリ会わないかなー。」と期待してたりもした。
佃さんが書かれた本書では淀川さんの通常は知られない一面が垣間見えて大変興味深い。

■「私はいまだかつて嫌いな人に会ったことがない。」という有名な言葉は、淀川さんが10代のころに観た映画から得た言葉。
しかし、実際の淀川さんには好きな人間の方が少なかった。嫌いな人間とは会わなかった。でもこの言葉を言い続けた意味は、人を好きになろうと努力をすると決めたからだ。

■そんななかで、チャーリー・チャップリンは淀川さんにとって神様的存在であり頂点をなしているが、現代の映画にも同様に熱い眼差しを向けていた。
むしろ、“今の映画”を観ることの大切さを説いている。
今の時代感覚に見合った映画。内容はともかく映画にはいろんな要素がふんだんに含まれている。ストーリーや演出が面白くないと感じても、あのワンショットが良かったり、俳優さんの気持ちのいい笑顔が見られたり、美しい山の風景に心が洗われたとか、そういうことでも良い体験は出来るというのだ。
■これと似たようなことを大江健三郎氏も言っていた。
モーツァルトの演奏についてだったと思うが、「新しい演奏がベストである」というもの。
それは、最新の演奏は最新の研究結果に基づいて、過去の欠点を修復し、高い演奏技術によって演奏されているから、という感じのもの。
■淀川さんと大江さんの発言のニュアンスは多少異なるが、共通して言えることがある。
過去の大家たちが残した録音や映像ばかりを見て現在を見ない頭の固い人たちに問題を投げかけているということ。
今(現代)を生きるとこの大切さ、過去にばかり目を向けない姿勢というか、過去を中心に物事を考えることへの疑問、なんかそういうものを感じる。
かといってジョン・フォードやウィルヘルム・フルトヴェングラーを否定したりは決してしない。
過去の偉大な業績と、たった今生まれてくる芸術作品。
それぞれその時代背景から影響を受けて生まれてくる。
第二次世界大戦中のさなかにあえてドイツにとどまりドイツ国民に勇気と希望を与え続けたフルトヴェングラーの真実の演奏。
21世紀のいま、グローバル化の波が世界を覆い、人々の価値観の是非が問われ、生きる目的が漠然とし迷走する現代人。そんな世界から生みだされる演奏や映画。

それぞれに普遍的な存在であると思う。