■心が疲れたときにはJ・S・バッハがいい。心に潤いと活力を与えたいときはモーツァルト。さらに膨大なエネルギー注入が必要ならばベートーヴェン。
昨日は、バッハのゴールドベルク変奏曲をグレン・グールドのピアノで聴いた。
“喉のかすれ”が未だに続いている。今日のラジオで心の病に出る症状として、集中力の欠如、食欲不振とともに“喉のかすれ”も挙げていた。
風邪でも何でもないのになかなか“喉のかすれ”声が治らないのは、声変わりか、心が疲れているせいか、別の病気かもしれない。
心の病は誰しもがなる可能性があるし、そういうときは休息が必要だ。
休息といっても、みなそれぞれ方法が違うだろう。
僕の場合、音楽かと思っていたが、一生懸命聴きすぎてしまい、疲れるので聴かない。
でも、バッハのバックミュージックは不思議と休まる感じがするのだ。
しばらくはハッハかな。

■北海道の稚内で起きた実母を友人に頼んで殺害してしまった事件。
その他の殺人事件が頻発しているが、特にこの稚内の事件は気味が悪い。
一見して普通の高校生が友人からの依頼だからといって殺人を請負う。
これこそ理解に苦しむケースだ。
殺人を依頼した長男の動機も同じく闇の中で真相が見えてこない。
殺人に至るまでは相当の経緯があるはずだが、最近のこういう報道からは中間でおきる様々な葛藤が抜け落ちているかのような印象がある。
簡単に最終決断を下してしまうのだ。
■人間誰しも、いかに親しい人間であってもうっとおしく思うときはある。
「あいつがいなければいいのに・・」などと思うのは人間として当たり前の感情で誰しも経験があることだろう。
長い人生でそんな感情が芽生えることは何回でもある。
この高校生にどんな辛い出来事があって、どんなことを思っていたのか?今は知ることができない。
しかし、それでも最終的な決断として“では、殺すか!”となることは一般的にはない。
なぜ、ないのか。を考えると、“殺してはいけない”という概念・理念が一般の人間には備わっているからだろう。
その中身は、人を殺してしまうと、最終的には警察につかまり、刑法により最悪は死刑となってしまうというのを知っている。
さらに殺してしまった相手とその関係者の悲しみを想像すると、とても殺すという選択にはならない。
などなど、殺してはいけないという理由は多々ある。
■もっと突っ込んで考えると、人の血を吸う蚊は殺してもいいのに、同じ命のあるクジラや人はなぜ殺してはいけないのか?という問いがある。
これは難しい。
でも、いまはこう答えるのが精一杯だ。
命ある生き物は、魂を所有しているということではみな平等である。蚊の命も人の命も人意外の視点から見れば同等であるかもしれない。
しかし、人は蚊を毎日何匹も殺しても人は絶対に殺してはいけないという。
これは、ある意味理不尽な考えだ。
魂というレベルで考えると人だけを殺してはいけないという説明には無理がある。
そこで、こう言う。
人はそもそも身勝手な生きものだ。だから今まで生きてこられた。
また、人も身勝手だが、あらゆる生きものは身勝手だ。
それは他の生きものを食べることによってしか生きることが出来ないようになっているからだ。
しかし、人は他の生物よりも身勝手さが強い。
たいていの動植物は、自分の命が保てる程度しか他の生きものの命を奪わない。
人は娯楽や贅沢のために、必要以上の命を奪っている・・
ちょっと話がずれたが、人は必ずしも清く正しいばかりではない。
どうも、現代(の教育)はこの部分が隠されているように思う。
これは一例だが、真実を知ったうえで、いまの生活状態を理解しないとウソと無理が生じる。
蚊を殺すのは“有害な虫”という認識が人の心で出来ているから。
なんだか妙に哲学的になってしまったが・・
■人を殺して解決しようとする決断がいとも簡単になされているような事件。
たぶん加害者は殺してしまうことによるリスクは考えるだろう。
衝動的な殺人はそんなゆとりもないかもしれない。
しかし、この稚内の事件は計画的だった。
それがなぜ殺人を選んでしまったのか。しかも、友人はそれをお金で請負い、実行する。
こんなリスクの大きくて安い依頼など、どんなに貪欲なギャングだって請け負わない。
そうだ!これは状況判断能力がないことにより起きたのだ。
偏差値では到底低いギャングの方がまだ利口だ。
人を殺すということはある意味自分の人生も殺してしまうことだ。
罪により刑に処すか、運良く逃げ延びてもまっとうな人生は送れまい。
それを覚悟のうえで実行するのか!
もし、殺したいほど邪魔で憎い人が存在するなら、殺すよりそこから逃げれば良い。
昔の人のエピソードで、自分が家出しなければたぶん親を殺していたかもしれない、なんて冗談半分で話すのを聞いたことがあるが、それは根拠のない話ではないだろう。
その人は知っていたんだ。本当に殺してしまうとどうなってしまうかを。だから自分から離れた。
人を殺すのは自分も殺すこと、自分の人生を大事に思っていないということなのだ。
自分をおろそかにしている。

高校生が殺人を請け負ったのは、依頼主が“友人だったから”だろうか・・
友人だったら、それを止めるはず。
まったく不可解で気味が悪い。