
この作品はかなり変わっているが、人間の極限状態を知ることができる。
深い砂の家の中に女とともに閉じ込められ、“砂かき”という強制労働を課せられた主人公の叫びは、人間そのものの存在を考えさせるものだ。
「人間には自分のもっている能力を、充分に役立てる義務があるはずだ!」という訴えも、男の命を握っている人々には届かない。
彼らには村を守るという使命があり、そのためなら見知らぬ男の誘拐・労働など当たり前のことなのだ。
性についても考えさせれれる。
主人公の男は見知らぬ女との共同生活をおくるわけだ。
そこには当然男女間の性の問題がある。
今地球上で生きている動物のほとんどが数10億年ものあいだに“性”を行ってきた。
ごくごく当たり前の行動なのだ。
しかし、現代の性を見ると、何だか言い訳がましい感じがする。
さっぱりしていない。
(その理由には一夫一婦制や道徳という理念があるのだが・・)
実は人間は生き物であることが前提であると思うので、“性”はあたりまえの衝動なのだ。
そのことに特別な理由はないと思う。
本能というだけで充分だ。
この「砂の女」はさまざまな人間の根源的なことを考えてしまうのだ。
■やはり僕はこういうテーマが好きなんだと改めて思った。
人間とは?地球とは?音楽とは?生きるというとことは?
考えても得にもなんにもならないようなこと。
でも、気持ちのどこかで常に気になっている。
これからもっと追求してみようと思う。
あまり接してこなかった哲学書なども読んだり、自分で考えを展開させてみたい。
こんど図書館に行ってみよう。