■僕は人と接するときに出来るだけその人の中身をみるようにしている。
年齢や肩書き、地位はまるで関係ない。
その人間がどういう気持ちを持っているのだろうか、何を考えているんだろう。何に情熱を感じるんだろうとか。そこに興味がある。
■今の私達には国籍や宗教、男女、年齢、地位などいろんな分類がされていて、必然的にそれを重視している。
しかし、世界中にいるすべての人間の生物的な種は1種類。ホモサピエンスだけ。
どんな人間もホモサピエンスという生き物なだけ。何も違うことはない。
■ちょっと話が大きくなってしまったが、“出来るだけ垣根を持たない”という接し方は、世の中あまりにも垣根だらけで、それに嫌気がさしていたからだ。
この考えもひょっとすると物心つくころから殆ど変わらない。
もっとも子供なんて垣根のない世界で生きている。
子供は言葉の通じ合わない外国人でも、不思議とコミュニケーションをとれているのだ。
垣根は大人になるにしたがって出来てくるものかもしれない。
よく電車の中で中学生や高校生が先輩と思われる人に、いっちょまえの敬語を使っているのを聞く。
そういうとき、何だかあまりいい感じがしない。
表面的な言葉では敬意を払っているように聞こえるが、実際は分からない。
ものごとには全て良いことと反面の良くないことがある。
敬語にも両面ある。
日本の良いところに敬語を挙げる人は多い。
僕は実は負の面の方が多いような気がする。
だから、というわけではないが、あまり敬語は使わない。
中身と気持ちで話すようにしている(ちょっとカッコつけすぎだぁね)。
■会社の役職もなんてことはない。社長にだって単なる役職。別に媚びへつらう必要はない。また恐れる存在でもない。
でも、会社の人間のほとんどは過剰なまでの接し方だ。
「よくそこまで自分を殺せるなぁ」と変な感心をする。
感単にいえば社長は、会社の舵取りをする役職。
人間的な中身や魅力は別問題。
僕はこの人間的な中身や魅力に関心があるのだ。
そこに充実感が得られるのだ。

■昨日のベストオブクラシック(NHK)で放送したフォルテピアノによるモーツァルト曲集。新鮮な解釈に目からうろこでした。フィルテピアノの響きはモーツァルトが生きていた時代のそれに近いのだろう。いまのピアノと違ってくぐもっているが、感情が直接伝わる感じもして面白い。