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■社内の読書感想文で応募した文章です。
今読むと若干考えが変わっていることに気がつきます。
やはり、日々いろんな出来事に接し、本などからも影響受けるので、常に考えは変動していくものだろうか。


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数ある警世本のなかで柳田さんの書かれたものは共感できるものが多い。
本書でも「なるほど、同感だな・・」とうなずける部分が多々あった。
現在の日本の繁栄裏にある深刻で暗い問題の数々。それらは犯罪の低年齢化などにより我々の不安は大きくなるばかりだ。本書では、その原因の1つが日本人のケータイとネットへの依存ではないか?と警鐘を鳴らしている。
ケータイ・ネットの特性として『全知全能の自分を感じられる。匿名で別人格になれる。いやになったらいつでもやめられる。』ということを挙げている。これには単純にいって、有益と有害な点がある。(ものごとを考えるときは、できるだけ多面的に感がる必要がある。特に二極化している場合は両方の立場にたって考えるなど、偏らない見方をしないと公平でなくなり最適ではない。)
ケータイのメールは非常に便利だ。例えば連絡したい相手が多忙な状況であれば、単純な連絡はメールで周知でき相手を煩わせることはない。反面、あまりに依存してしまうと負の面が現れる。生身の人と接っすることなくケータイばかりに頼る生活が続くと、コミュニケーション能力に変化が生じる。相手を思いやる気持ちが欠けるといったことも起こってくる。
一昔前のモノが乏しいながらも心が豊かだった時代に戻ろうという懐古主義的な発想はしない。現状を正確に認識し、それを踏まえて対策を練るべきという立場だ。
一方で僕はこう思う。今の日本は世界的に見て経済的に裕福で、まだまだ安全な国といえる。人は食べることに困らないし、それなりの家屋に住むことができる。学校教育は全員がうけられる。やりたいことは何でも出来る。これではどこに不満があるのか分からない。分かりづらい構図になっているともいえる。
しかし今の日本には確実に重たい問題がある。それは“人間性の歪み”だ。ずっと昔から日本の特長であった個人よりも集団を重んじる傾向。それは現代にもしっかりと根付いている。地域でも会社でも周囲を見渡しながら自分のポジションを決めていく。そういう生き方は人間にとって息苦しいものだ。人々には真の自由がない。表面的には自由はあるように見えるが、あらゆる“しがらみ”に捕らわれることなく真の自由を生きている人は少ない。さらに現代の高度情報化社会は、目に見えない不自由さ・窮屈さにいっそう拍車をかけてくる。これはほんの一例でしかない。ありとあらゆる要因から人々に歪みが浸透していった。それが社会的問題となって噴出していると考える。
さらに、この問題の原因の1つに、正面から真剣に対策に取り組もうとしないこの国の体質があると思う。何事も経済優先で政策をすすめてきた代償だともいえる。そして最近、それは国だけではなく我々国民1人1人に浸透してしまった体質ではないかとも思い始めた。本当に必要で大切なことに気がつかないで生活している。
毎日見かける光景で『異様だな・・』と感じるものがある。それは電車内の人々。ここ10年来の車内は“無表情の人”“怒っているような表情の人”などがことさら多いことに気づく。どう見ても楽しい生活をおくっているようには見えない。よっぽどアジア系外国人の方が楽しそうに生き生きとしている。これはなぜだろう?と思った。彼らより裕福なはずの日本人の方が表情が暗い。この状況は僕が高校生のころから気になっていた。それから約20年経過した現在はその異様な感じは増している。なぜ楽しそうでないのか?なにがつまらないのか?
では、どうすればこの状況は改善されるのだろか。
柳田さんは、ノーケイタイデーを作ってはどうか?と提案する。
少しでも、人間らしい感覚を壊さないようにとの措置である。
さらに、文字を書くことの重要性も説いている。思考能力が向上するからだ。
僕はこう思う。日常生活をはじめあらゆる状況で“これは自分には必要ない”という歯止めを自らかけていく姿勢が必要になってくると思う。世の中に氾濫する膨大なモノや情報は簡単に入手することができる。そこには必要のないモノが多いし、なかには悪影響を及ぼすものすらある。CMの影響や、価格が安いという判断だけで購入するのではなく、そこに“自分の思考”を加えないとならないと思う。極端に言えば『これを買ったら自分や家族にどんな影響がでるか・・』とか。このことは技術開発者にも同じことが言える。『これを世に送り出したら、人々にこんな悪い影響がでることが懸念させるから、今回の発表は見送ろう・・』などという勇断はないものだろうか。会社の利益よりも世に中に対する影響を考慮するという判断。みんながそういうポリシーを持つと何かが変っていくかもしれない。

おわり