■友人と映画について話しているときに、自分は大して面白くなかったにもかかわらず、相手が「あれは最高だよなー!」なんて顔を輝かせながら言われてしまうと、「うん、そうだな・・」と心にもないことを言ってしまうことがある。
こういうときは少なからず後悔の念にとらわれる。
なんとなく相手の勢いに負けてしまっているときにそうなる。
同時に、相手を傷つけては悪いな、と思っているのだ。
でも、本来なら「オレはあれはイマイチだったなー」くらいは言わないと。
■あまりにも過剰に相手を気にしてしまう傾向にある我々日本人。
自分の内面の考えがなかなか出にくいのも、この辺りの習性から来ていると考えている。
お互い普段から内面をさらけ出すような生活だと、今と違った生活を送っているに違いない。
内面をなんでもかんでもさらけ出すことによってトラブルが耐えないと感じるかもしれない。
しかし、そこにバランス感覚をうまく活用する。
それでも時にはトラブルはあるだろう。
それはそれで全然構わない。
ぶつかり合いを回避していては何もできない。
とにかく我々はなかなか本心が見えづらいのだ。
それで良いと思う人だって大勢いる。
少なくとも僕はそれでは面白くない。
だから、普段から意識して内面的な話題を提供したりする。
■『せめて飲んだ席では普段は見せない内面の話をしよう。』
せっかく酒の力を借りているんだから、会社の愚痴なんか話してたら勿体ない。
それでも、こっちがふってもなかなか内面が見えてこない人はいる(深い話をする友人は決まってしまっている)。
要はその人の顔が見えない。その人も他の人も大した違いはないという印象。
なぜだろう?と思う。
何も考えていないもだろうか。
世の中のことに対して何も感じないのだろうか?
■一部のイギリスの若者の間で、文学の一節をみんなに聞かせて、それについて議論を展開させる“遊び”があるらしい。
これは僕も是非やってみたいことだ。
例えば山本周五郎さんの名言集『泣き言はいわない』の中に次の文がある。
「貪欲や不義不正や、貧困やみだらな肉欲の争いが絶えないとしたら、それがそのまま人間生活というものではないだろうか。清潔で汚れのない世界は空想だけのもにで、そういう汚泥の中でこそ、人間は生きることができる。なにかを成そうという勇気をもつのではないか。」
この言葉についてみんなは何を感じるだろう。
肯定でも否定でも何でもいい。
自分が感じたことを言って、それについて本気の議論をする。
自分が思っていたことと違う意見を聞いて、もっと自分の考えが展開できるのだ。
人と話すというのは、自分の考えに確信を持ったり、修正したり、進展したりできる絶好の機会なのだ。
この遊びはやってみたい。やってみよう!
■いつごろから“出る杭は打たれる”“同一思考社会”の日本になってしまったのだろう。
第二次大戦における異常な軍国主義社会では、異質な思想が禁じられた。
日本は正しい戦争をし、絶対に負けることなないと信じさせられた、あの時代からだろうか。
もっともっと以前の徳川の時代、平安時代、弥生、縄文・・もっと先?
こういうときは少なからず後悔の念にとらわれる。
なんとなく相手の勢いに負けてしまっているときにそうなる。
同時に、相手を傷つけては悪いな、と思っているのだ。
でも、本来なら「オレはあれはイマイチだったなー」くらいは言わないと。
■あまりにも過剰に相手を気にしてしまう傾向にある我々日本人。
自分の内面の考えがなかなか出にくいのも、この辺りの習性から来ていると考えている。
お互い普段から内面をさらけ出すような生活だと、今と違った生活を送っているに違いない。
内面をなんでもかんでもさらけ出すことによってトラブルが耐えないと感じるかもしれない。
しかし、そこにバランス感覚をうまく活用する。
それでも時にはトラブルはあるだろう。
それはそれで全然構わない。
ぶつかり合いを回避していては何もできない。
とにかく我々はなかなか本心が見えづらいのだ。
それで良いと思う人だって大勢いる。
少なくとも僕はそれでは面白くない。
だから、普段から意識して内面的な話題を提供したりする。
■『せめて飲んだ席では普段は見せない内面の話をしよう。』
せっかく酒の力を借りているんだから、会社の愚痴なんか話してたら勿体ない。
それでも、こっちがふってもなかなか内面が見えてこない人はいる(深い話をする友人は決まってしまっている)。
要はその人の顔が見えない。その人も他の人も大した違いはないという印象。
なぜだろう?と思う。
何も考えていないもだろうか。
世の中のことに対して何も感じないのだろうか?
■一部のイギリスの若者の間で、文学の一節をみんなに聞かせて、それについて議論を展開させる“遊び”があるらしい。
これは僕も是非やってみたいことだ。
例えば山本周五郎さんの名言集『泣き言はいわない』の中に次の文がある。
「貪欲や不義不正や、貧困やみだらな肉欲の争いが絶えないとしたら、それがそのまま人間生活というものではないだろうか。清潔で汚れのない世界は空想だけのもにで、そういう汚泥の中でこそ、人間は生きることができる。なにかを成そうという勇気をもつのではないか。」
この言葉についてみんなは何を感じるだろう。
肯定でも否定でも何でもいい。
自分が感じたことを言って、それについて本気の議論をする。
自分が思っていたことと違う意見を聞いて、もっと自分の考えが展開できるのだ。
人と話すというのは、自分の考えに確信を持ったり、修正したり、進展したりできる絶好の機会なのだ。
この遊びはやってみたい。やってみよう!
■いつごろから“出る杭は打たれる”“同一思考社会”の日本になってしまったのだろう。
第二次大戦における異常な軍国主義社会では、異質な思想が禁じられた。
日本は正しい戦争をし、絶対に負けることなないと信じさせられた、あの時代からだろうか。
もっともっと以前の徳川の時代、平安時代、弥生、縄文・・もっと先?