■昨晩、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」をムーティ指揮ウィーン・フィルで聴いた。
この曲はまるで“火の玉”のような曲。火の玉といってもオバケの方ではない。真っ赤に燃えたぎった灼熱の大玉。それくらいの大きなエネルギーと勢いを感じるが、随所に遊び心があってついニヤケてしまう。
この曲も恐らくとんでもない短期間で完成されたんだろう。
モーツァルトの交響曲は一見大きな起伏はないのだが、内部にようく注意を向けるとすごく複雑な構成の箇所がある。展開部などがそうであるが、「どうしてこんな風に書けるのだろうか?」とその天才ぶりに驚嘆する。よくスコアを眺めながら複雑な展開部を繰り返し聴くのだが、なかなか僕自身が近づいていけない。たぶん凄すぎるのだ。それだからこそモーツァルトは面白い。

■“何のために人は(僕は)仕事をするのか?”これは長年のテーマといっていいくらいよく考える。
「余計な考えで迷っていないでちゃんと働けば良いんだ!」という考えも知っているが、なかなかそうはいかない。
それというのも、自分と周囲の人との仕事に対する考えに相違点があるから、常に考えざるを得ないのかもしれない。
この相違点は時に苦しいが、往々にして生きる力にもなったりとプラス面が多い。
僕の仕事に対する考えは常に固定的ではない。状況によって考えに変化がでたりもする。
現在の考えは次のとおりだ。
(趣味と仕事が一致していない今)仕事というのは、人生を楽しむための1つの手段にすぎない。人生における比重はあまり重くない、むしろ軽いと言ったほうがいい。
人生を充実し楽しいものにしたいと考えている自分にとって、決められた時間内だけを労働に費やし、あとは自分のやりたいことや家族に時間とエネルギーと使う。定められた時間内だけといっても、その間は一生懸命やる。そうでないと全ての事柄が好い加減になってしまい、最終的に無気力に陥る可能性があるからだ。
だが、会社の敷地を一歩外に出れば、もう自分だけに戻る。会社なんか関係ない。いきなり缶ビールを飲んだりもする。だからアフター5に気がすすまないのに付き合いで飲みに行くということもしない。かなりアッサリしたもんだ。シンプルに考えて、会社は地域住民などに社会貢献をしてその見返りに代金をもらい、会社は賃金を従業員に支払う。結局それだけのものじゃないかと思う。
■これでは周りの連中と考えが相当違うのだ。「もっと周りとの協調性がないと!」と主張したり、仕方なく周囲と合わせているという人も多いだろう。「上司との飲み会がイヤで大変なんだよ・・」という人がいる。この人はなぜそんな気の進まない飲み会に自分のお金と貴重な時間を削って行くのか理解できない。「行かなければいいのに・・」と思うし、そう言う。すると「なかなかそうは行かないんだよ・・」との返事。断る勇気がないのか、そうは言っても本当はイヤじゃないのか、なんだかよう分からんわ。この“分からなさ”は時に気味が悪い。そんなモヤモヤした態度は踏んづけてしまえ!と思う。
今いる会社では、自分のスタイルを持っていて貫いているという人はなかなかいない。みんな同じような姿勢で働いている。
■この仕事に対する考えはまだ“完全なもの”ではないと感じている。もっと違う何かを求めているのかもしれない。それを追求していきたい。またこの考えは尊敬する山本周五郎さんとは相反するものだ。周五郎さんは“男(の価値)は仕事だ”という。
この先も考えていくことだろう。