◆サッカー中田英寿の現役引退ニュースは意外だった。
一般から見たら「まだ出来るのになぜ?」と戸惑いを感じる。
でも、去就問題は最終的には本人の問題であるので、僕はその意思を尊重する。
音楽家でもいきなり音楽の世界から去ってしまう人もいた。
最近では指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニ。
引退インタヴューでは“音楽に魅力を感じなくなった”というようなことを言っていて僕はショックを受けた。
音楽こそ生涯の友であり、そこから自分から身を引くなど考えられなかったからだ。
作曲家のロッシーニも若いうちに音楽から身を引き、意外にも料理人に転身した。
人間は簡単には理解できない。だからこそその意外性が面白い。
さて、
■サッカーW杯で欧州サポーターの真剣な表情を見ると、日本人サポータはどこまで代表選手を想っているのかと考える。
欧州のサポーターは代表選手の応援というより国そのものを応援しているように感じる。
それ(サッカーの応援)はもう自分自身の一部のような気の入れようだ。
常に頭のどこかで自国を愛しており、その国の威信をかけた真剣勝負なのだから、自然と力がはいる。
“愛国心はどうあるべきだ”なんて考えていること自体が、日本は愛国心は薄れてしまっているというようなもの。
国という存在を感じられない代表選手の応援では、どこか奇妙な光景に映っても不思議ではない。
もちろんそれは全員ではない。「オレは日本も代表選手も心のそこから愛してる!」「国はよくわからないが、代表選手は誰よりも愛している!」というサポーターもいるだろう。
■奇妙な応援はサッカーだけではない。
プロ野球中継を見ていても、応援席とそうでない席の格差は不思議なほど乖離がある。
応援席は指揮をとる人に合わせて声を上げたり楽器を鳴らす。
一般席では、人々はなんだか静か試合を見ている。まれに騒いだりして応援しているが、あんまり真剣ではないし、手持ち無沙汰を感じているような人も見受けられる。
昔、応援席に一度座ったことがあった。みんなと一緒に応援していても疲れるし、みんなと同じ反応を強いられているようで、これは辛かった。
■こうして考えると、日本人は“自ら楽しむ”ということが苦手といか慣れていないのではないか?とチラリと思う。
何でもかんでも周りを気にして生活しているからかもしれない。
自己の確立。
これが薄いのかなー。
薄いから悪いということでもない。
それはそれで良い点もあるだろう。
一般から見たら「まだ出来るのになぜ?」と戸惑いを感じる。
でも、去就問題は最終的には本人の問題であるので、僕はその意思を尊重する。
音楽家でもいきなり音楽の世界から去ってしまう人もいた。
最近では指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニ。
引退インタヴューでは“音楽に魅力を感じなくなった”というようなことを言っていて僕はショックを受けた。
音楽こそ生涯の友であり、そこから自分から身を引くなど考えられなかったからだ。
作曲家のロッシーニも若いうちに音楽から身を引き、意外にも料理人に転身した。
人間は簡単には理解できない。だからこそその意外性が面白い。
さて、
■サッカーW杯で欧州サポーターの真剣な表情を見ると、日本人サポータはどこまで代表選手を想っているのかと考える。
欧州のサポーターは代表選手の応援というより国そのものを応援しているように感じる。
それ(サッカーの応援)はもう自分自身の一部のような気の入れようだ。
常に頭のどこかで自国を愛しており、その国の威信をかけた真剣勝負なのだから、自然と力がはいる。
“愛国心はどうあるべきだ”なんて考えていること自体が、日本は愛国心は薄れてしまっているというようなもの。
国という存在を感じられない代表選手の応援では、どこか奇妙な光景に映っても不思議ではない。
もちろんそれは全員ではない。「オレは日本も代表選手も心のそこから愛してる!」「国はよくわからないが、代表選手は誰よりも愛している!」というサポーターもいるだろう。
■奇妙な応援はサッカーだけではない。
プロ野球中継を見ていても、応援席とそうでない席の格差は不思議なほど乖離がある。
応援席は指揮をとる人に合わせて声を上げたり楽器を鳴らす。
一般席では、人々はなんだか静か試合を見ている。まれに騒いだりして応援しているが、あんまり真剣ではないし、手持ち無沙汰を感じているような人も見受けられる。
昔、応援席に一度座ったことがあった。みんなと一緒に応援していても疲れるし、みんなと同じ反応を強いられているようで、これは辛かった。
■こうして考えると、日本人は“自ら楽しむ”ということが苦手といか慣れていないのではないか?とチラリと思う。
何でもかんでも周りを気にして生活しているからかもしれない。
自己の確立。
これが薄いのかなー。
薄いから悪いということでもない。
それはそれで良い点もあるだろう。