■今月号のレコード芸術にラトルとベルリン・フィルの不仲説を伝えるドイツの新聞と、それに対抗する文章を発表したアルフレート・ブレンデル(ピアニスト)の記事が載っていた。
ベルリン・フィルの来シーズンプログラムの発表に端を発した模様だ。
ラトルは現代ものの楽曲を得意としている。一方でハイドンの交響曲はそれはみごとな演奏をする。
先のジルベスターコンサートではモーツァルトの楽曲を取り上げた。
(こんどウィーン・フィルでもモーツァルトの交響曲を振るんじゃなったかなー)
このジルベスターの演奏は衛星放送で見た。
第1の印象は、現代的できびきびした感が強いモーツァルトにいささか期待はずれだった。
今度またじっくり見てみようと思う。
実演では東京でマーラーの5番とブラームスの2番に接することができた。
ともに今ひとつ物足りない演奏であった(特にマーラーは座った席の音響が悪かったせいもある)。
しかし、その数年前にウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲を聴いたときには度胆を抜かれた。
完璧な感動がそこにはあった。
思わず”天才”という言葉が浮かんだ。
第3と第9番ではいままで味わったことにない、真実の音楽。深い深いベートーヴェンの心情が見事に表れていた。聴いていて、心が悲しみに満ちたり、大きな感動・歓喜を存分に味わった。公演後、しばらくは話ができなかった。
■ベルリン・フィルの音楽監督・芸術監督というポストはこの世界での頂点。必然、世間からの注目は高く、とても厳しい。前任者のアバドはこの大きなストレスをかなり感じていた。アバドはベルリン・フィルから一歩も二歩も離れた存在になってさらにすばらしい演奏を行うようになったし関係も良好になった。
■ラトルも今の重責をかなり感じている。しかし、数々の書籍から受けとる彼はすばらしい人格の持ち主だ。今の不仲説もきっと乗り切るだろう。何人かの団員とももしかしたらギクシャクしているかもしれない。本当に良好な関係を築くには困難はつきものだ。