■いつの頃からか、僕は「人は常に変化するものだろう・・。」と思っていた。それは肉体的、精神的
なものの両方である。
人の身体を構成する細胞は刻々と変化する。新しい食べ物を毎日食べ、必要な栄養分などを取込んで、不要なものを出す。
こうして考えると肉体が変化するというのはイメージできる。また、“人の心”が存在するであろうとされている前頭前野も細胞から出来ており、日々入れ替わっている。精神的な部分も変化している可能性は高くなる。
養老猛司さんの「バカの壁」には面白いことが書かれている。
『「学問」と「知る」はパラレル(相ともなうこと)状態にある。・・学問をする最たる理由は、「知る」ということ。・・「知る」ということは人が変わる(!)ということ。・・昨日までの自分は死んで、新しい自分に生まれ変わる』
「ああ、そうなんだ・・・」と思った。
学問をして知識を得ると人間が変わる。この本ではほんの少し変わるのでなくダイナミックに変わるというようなニュアンスだ。それが人の成長ということでもあろう。
■最近、飲み会でも大勢でワイワイやるのがどうも面白くないと感じていた。
その時はそれなりに楽しんでいるはずなのに、帰り道はほとんど満足せずに、「今日のは何だったんだろう・・?」とどこか欲求不満だ。「これはもしかして、実は俺は元気がなく精神的にヤバイのかな・・」などという思いが心をかすめるが、別にそんなことはない。精神的にも余裕があり元気だ。では、なぜ満足しないのか?と思っていた。
一方、親しい友人と2人で飲んで、心の底から会話を楽しみ相手からも影響されるような飲みは大満足なのだ。というかそういう飲み方でしか面白みを感じないのだ。これは、オレ自信が変わったからと考えるのが自然だ。それでなら納得できる。成長したのかどうかは正直分からない。でも、大きく変わったのは確かだ。しかもその変化はいきなりではく徐々に変わっていったのだろう。
■TVでも最近はほとんど民放は観ない。面白いと思わないからだ。番組内容も変わったけど、「なんでこんなくだらない番組しか作れないんだろう・・」というのが多い。たまには楽しみにしているドラマもあったが、ほとんどはくだらない。これも自分が変わったからだろう。
■人が変わるのは自然の成り行きで、みんなが変わっていく。しかし、「あいつ変わったよなー。」なんて言われることがあるように、変わること=いけないこと、のようにとらえる傾向がある。たぶんに僻みもあるのだろう。
■この文章を数日後になって読んでみると、そこから別な考えがでるものだ。そうして自分の考えを展開させていくのも大切だと思う。これは親しい友人と飲んでいるとそういう”話の展開”が起こる。そうして自分でも気が付かないモノの考え方や見方に触れるととても充実感をおぼえる。誰かの考えを足がかりに自分の考えを展開させる。その繰り返しかもね。