■この映画は子供の身代金誘拐をテーマとして、ものすごい密度の濃いドラマを展開させる。黒澤さん全盛期の圧倒的なパワーに釘づけになった。
そのなかの1つのセリフ。
誘拐された子供の父「犯人だって人間だ・・。まさか子供を殺すようなことはないでしょう・・」
ここで登場する犯人の目的は身代金と権藤氏の(三船敏郎)権力の失墜である。
子供に手をかけるなどということは、この父が言うとおり考えていなかったかもしれない。
しかし、命の危険は当然あった。
■一方で、今の日本を暗い気持ちにさせている子供殺害事件の数々。
その大半の目的は身代金ではない。
目的がはっきりしない不気味さが漂っている。
この『天国と地獄』が作られたのは約40年前。
この時代と現在では人々が大きく変わってしまったことがこの映画を観てわかった。
『天国と地獄』が作られた時代より更に40年前は1920年代。
1960年代から1920年代を考えても、同じように“昔はこんなんじゃなかった・・”という事柄は相当あっただろう。
近代の人類の歴史はその繰り返し。
しかし、ここ数十年の変化は急激ではないか?と思うのだ。
このことは確実性があるわけではない。データの収集・分析などは行っていないのであくまで推論だ。
しかし、急激な技術発展やコミュニケーションの変化を目の当たりにすると、人の変化が急激であってもなんら不思議ではない。
■そこで、最近の人の変化の1つとして“確実に人間性が薄れている”と思ったのだ。
40年前は“まさか、子供を殺すことなんてありえない。”そんな時代だった。
犯罪者でもその一線は守っていた。
罪を犯す理由でも今よりも明確で、場合によっては犯罪者にも情けがかかる場合もあった。
今の子供を狙った犯罪に共通しているのは、目的が不明確であること。そして、目的が解明しても非常に利己的で歪んでいる。
悲報を聞いたものは、やりきれない気持ちが一層つよくなる。
犯罪者の傾向は確かに悪化しているといえる。
■しかし、これは実は犯罪者に限った話ではないのでは?と思った。
日本人全体の人間性が薄れてしまっているのではないだろうか。
そう考える方が納得がいくことが多い。
日常生活をしていていろんな人と接するが、傾向として中身が薄い人間が増えているような気がするのだ。
ある凶悪な事件を聞く。
その聞いたことは記憶として脳に蓄えられる。
さらにどんどん凶悪事件を聞く、嫌な事件の記憶は増える。
人は適応能力に優れた生き物。
いつしか、自分の中の凶悪度の認識が増えても、都合よく平均化してしまう。
そして自分自身が気づかないうちに、どんどん凶悪に慣れる自分ができていく。
そういう国民全体が悪化していく。
こんなことになってやしないか?
問題の深さに改めて気づかされ、本気で対策を考えようと思う。
■では、一体なにをすればいいのか?どう行動していけばいいのか?
これは難しい。
でも最初は、簡単であって、出来ることから始めるのが行動するポイントでもある。
今の地球上には60臆人以上の人が暮らしている。
僕は、その誰もが、地球上に影響を与えられる存在であると思っている。
1人1人の日頃の会話、仕事、趣味、その他すべては、静かな池に落ちた水滴のような波動として世界に伝わる。
それは人を通じて、通信媒体を通じて、手紙を通じで・・
(何も有名人や大統領の発言が世界を動かしているわけではない。)
それを考えると。
毎日の生活自体が“活動”だと信じている。
例えばコンビニで。
レジでまったくの無言で店員と接するのでなく、小さな声ながら「どうも・・」という挨拶でいいんです。
それを聞いた店員の心は無言で接してくるお客より嬉しいはずです。
その嬉しさは良い波動として、影響を与えるのです。
なんだか、話がどんどん展開してしまいました。
そのなかの1つのセリフ。
誘拐された子供の父「犯人だって人間だ・・。まさか子供を殺すようなことはないでしょう・・」
ここで登場する犯人の目的は身代金と権藤氏の(三船敏郎)権力の失墜である。
子供に手をかけるなどということは、この父が言うとおり考えていなかったかもしれない。
しかし、命の危険は当然あった。
■一方で、今の日本を暗い気持ちにさせている子供殺害事件の数々。
その大半の目的は身代金ではない。
目的がはっきりしない不気味さが漂っている。
この『天国と地獄』が作られたのは約40年前。
この時代と現在では人々が大きく変わってしまったことがこの映画を観てわかった。
『天国と地獄』が作られた時代より更に40年前は1920年代。
1960年代から1920年代を考えても、同じように“昔はこんなんじゃなかった・・”という事柄は相当あっただろう。
近代の人類の歴史はその繰り返し。
しかし、ここ数十年の変化は急激ではないか?と思うのだ。
このことは確実性があるわけではない。データの収集・分析などは行っていないのであくまで推論だ。
しかし、急激な技術発展やコミュニケーションの変化を目の当たりにすると、人の変化が急激であってもなんら不思議ではない。
■そこで、最近の人の変化の1つとして“確実に人間性が薄れている”と思ったのだ。
40年前は“まさか、子供を殺すことなんてありえない。”そんな時代だった。
犯罪者でもその一線は守っていた。
罪を犯す理由でも今よりも明確で、場合によっては犯罪者にも情けがかかる場合もあった。
今の子供を狙った犯罪に共通しているのは、目的が不明確であること。そして、目的が解明しても非常に利己的で歪んでいる。
悲報を聞いたものは、やりきれない気持ちが一層つよくなる。
犯罪者の傾向は確かに悪化しているといえる。
■しかし、これは実は犯罪者に限った話ではないのでは?と思った。
日本人全体の人間性が薄れてしまっているのではないだろうか。
そう考える方が納得がいくことが多い。
日常生活をしていていろんな人と接するが、傾向として中身が薄い人間が増えているような気がするのだ。
ある凶悪な事件を聞く。
その聞いたことは記憶として脳に蓄えられる。
さらにどんどん凶悪事件を聞く、嫌な事件の記憶は増える。
人は適応能力に優れた生き物。
いつしか、自分の中の凶悪度の認識が増えても、都合よく平均化してしまう。
そして自分自身が気づかないうちに、どんどん凶悪に慣れる自分ができていく。
そういう国民全体が悪化していく。
こんなことになってやしないか?
問題の深さに改めて気づかされ、本気で対策を考えようと思う。
■では、一体なにをすればいいのか?どう行動していけばいいのか?
これは難しい。
でも最初は、簡単であって、出来ることから始めるのが行動するポイントでもある。
今の地球上には60臆人以上の人が暮らしている。
僕は、その誰もが、地球上に影響を与えられる存在であると思っている。
1人1人の日頃の会話、仕事、趣味、その他すべては、静かな池に落ちた水滴のような波動として世界に伝わる。
それは人を通じて、通信媒体を通じて、手紙を通じで・・
(何も有名人や大統領の発言が世界を動かしているわけではない。)
それを考えると。
毎日の生活自体が“活動”だと信じている。
例えばコンビニで。
レジでまったくの無言で店員と接するのでなく、小さな声ながら「どうも・・」という挨拶でいいんです。
それを聞いた店員の心は無言で接してくるお客より嬉しいはずです。
その嬉しさは良い波動として、影響を与えるのです。
なんだか、話がどんどん展開してしまいました。