■モーツァルトという人間は、とにかく感性がずば抜けて敏感であったのだろう。彼の音楽からは、世の中の機微や、人間の深い悲しみ、とてつもなく大きな喜びなどが次々と感じられる(ようになった)。
これは先ほど挙げたように作曲者自信が素晴らしい感性を持って、自らの体験をどんどん体内に吸収しているからこそ表現できるのだ。
優れた“表現者”は、優れた“吸収者”でもあるのだろう。
(“吸収者”とは聞きなれない言葉だね(笑))
このことは我々聴き手にも同じことが言える。
感性が良い人間は、様々な芸術に理解を示すものだと思っている。
感性が共鳴し合う、のかな。
僕は昔モーツァルトが分からなかった。
たんとも退屈でコンサートでは居眠りをしたりして、「何でこの音楽は何も訴えてこないのだろう・・。モーツァルトのどこにみんな惹かれるのか分からん。やっぱベートーヴェンのような雄大で勇ましい音楽が最高だな。」なんて思っていた。
しかし、年齢とともにいろんなことを経験し、精神的に努力していくぶん成長する。
その経験が少しだけモーツァルトに近づいた。
でも、もっと真っ直ぐに正面から様々な戦いに挑むような人生を送っていたら、もっとモーツァルトに近づいていたかもしれない。
だが、僕はいつでもマイペースであまりムリをしない性質。それでも時には自分の内面の良心に従っていつも以上の努力をするときも多々ある。
いや、一方でその人間がもって生まれた感性もあるだろう。
音楽はいつでも僕の頭の中で鳴っており、もっとモーツァルトやベートーヴェン、マーラー、バッハが分かりたい!理解したい!と常に思う。
それは自分自身の生き方そのものに係っているということはよく分かっている。
■歌手のクリスタ・ルードヴィッヒがかつてTVインタヴューで次のようなことを言った。
「私の哲学はクラシック音楽で養われています。」
これを僕はいつも心のどこかに意識して持っている。
たぶん、そういうことなのだろう。
今の科学や医学でも説明できないだろうが、クラシック音楽を聴いたり、名画を観る生活、つまり真の芸術に触れる生活というのは、その人間の哲学性を向上させる機能がある、と。
でも普段からそんな堅苦しく捉えて音楽を聴いているわけではない。単に楽しいから、面白いからというので聴いているにすぎないのだが。
ジャンジャン