■昨日はすっかり気に入ってしまったブーレーズの春の祭典(DG)の第一部とフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第9番(1・2楽章)とワルターのマーラー交響曲第9番(つまに食い)を聴いた。
往年の名演を聴きたくなったわけは、ブーレーズの春の祭典がめったに出会えないほど感銘を受けた演奏であったため、かつて自分でベスト3CDとして挙げていた演奏に触れたくなったからだ。
そのベスト3の1つとして、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの第9。これは1942年録音という第二次世界大戦真っ只中のドイツにおけるライヴ(メロディア)。
この演奏は録音状態も良くないので、やたらとティンパニの強打が耳につく。しかし、演奏のもつエネルギーはものすごく熱く、当時の状況などをどうしても想像してしまい、深く心に突き刺す演奏なのだ。それにしても第1楽章だけを聴いても、どっと疲れる。FFは当時の時代を反映した人々の”叫び”だ。それだけ聴く側の体力を使っているということか。あと、以前は気が付かなかったが、比較的テンポはゆったりとしており、悠然としている。第3楽章はあまり聴いてこなかった楽章なので、今度は3楽章もじっくり聴いていきたい。フルトヴェングラーの録音はクリアでないので、実演ではどうだったのだろうと思う。彼の演奏こそ実演で体験したいものだ。
ワルターのマーラー第9は、この曲ではベストと思っていた。昨日聴くと、それほどの印象は薄れてしまった。しかし、中間楽章の狂ったようなテンポはまさに壮絶。この時のワルターの心境を反映しているようだった。聞いた話だが、この時のムジークフェラインはナチス将校がホールをぐるっと埋め尽くし、ユダヤ人作曲家の曲をユダヤ人指揮者で演奏するさまを見届けていたとか・・。
第二次大戦のような極限状態での音楽の果たす役割は、今のような平和な時代のとはどこかが、異なるだろう。当時の特有の精神状態、演奏家も聴衆も一体となって平和への希望をこめたそのホール。一体どういうものだったのだろうか。
■今朝は早めに起きてランニングをした。走るごとに距離が長くなってきて面白い。近頃はこのランニングのせいか体調が良い。やはり体力がついてきているのかもしれない。まだまだがんばるぜよ!
往年の名演を聴きたくなったわけは、ブーレーズの春の祭典がめったに出会えないほど感銘を受けた演奏であったため、かつて自分でベスト3CDとして挙げていた演奏に触れたくなったからだ。
そのベスト3の1つとして、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの第9。これは1942年録音という第二次世界大戦真っ只中のドイツにおけるライヴ(メロディア)。
この演奏は録音状態も良くないので、やたらとティンパニの強打が耳につく。しかし、演奏のもつエネルギーはものすごく熱く、当時の状況などをどうしても想像してしまい、深く心に突き刺す演奏なのだ。それにしても第1楽章だけを聴いても、どっと疲れる。FFは当時の時代を反映した人々の”叫び”だ。それだけ聴く側の体力を使っているということか。あと、以前は気が付かなかったが、比較的テンポはゆったりとしており、悠然としている。第3楽章はあまり聴いてこなかった楽章なので、今度は3楽章もじっくり聴いていきたい。フルトヴェングラーの録音はクリアでないので、実演ではどうだったのだろうと思う。彼の演奏こそ実演で体験したいものだ。
ワルターのマーラー第9は、この曲ではベストと思っていた。昨日聴くと、それほどの印象は薄れてしまった。しかし、中間楽章の狂ったようなテンポはまさに壮絶。この時のワルターの心境を反映しているようだった。聞いた話だが、この時のムジークフェラインはナチス将校がホールをぐるっと埋め尽くし、ユダヤ人作曲家の曲をユダヤ人指揮者で演奏するさまを見届けていたとか・・。
第二次大戦のような極限状態での音楽の果たす役割は、今のような平和な時代のとはどこかが、異なるだろう。当時の特有の精神状態、演奏家も聴衆も一体となって平和への希望をこめたそのホール。一体どういうものだったのだろうか。
■今朝は早めに起きてランニングをした。走るごとに距離が長くなってきて面白い。近頃はこのランニングのせいか体調が良い。やはり体力がついてきているのかもしれない。まだまだがんばるぜよ!