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今、フランスで起こっているイスラム系移民を中心とした暴動は、人種問題の根深さや、それを解決するためには非常な困難さが必要であることを表している。
欧州各国は、移民を積極的に受け入れており、移民の割合は年々増加しているという。
それぞれの政府が理由はどうあれ移民の受け入れを決定したのだから、受け入れた彼等を差別するようなことはあってはならない。
特にフランスのサルコジ内相の頑ななまでの強行姿勢を貫く発言は、それを聞いた矛先である彼等(イスラム系移民)が今回の暴動を引き起こさないわけがないほど痛烈なものだ。
また、それをさらに強固な対決姿勢で取り締る方法は、最も深刻で、決して解決をみないものである。
 なぜなら、それは問題を起こす彼らへの単なる威嚇や、自らの保身のための表面的かつ効率を求めるものであるだけで、根本的な問題に立ち入っていないからだ。
 根本的な問題とは…
やはり、「人と人との心の不理解」「お互いの多様性を認めることができない心の持ちよう」といったことだと思う。
 少しでもいいから、こういった問題を前面に出す施策はないものだろうか。
 最近になってフランス政府は移民に就職機会を増加させるなどの施策をとることを明らかにした。
 政府は至急な対策を国民から求められる、即効性のあるものを。
 だから、刑法の改正に走ったり、セキュリティーの強化といったことになるのだろうか。
 こういうことを考えながらも、人間(民族)は永遠に理解し合えない運命にあるのかもしれない、といった考えもチラリと頭をかすめる。
 現に、いかに親しい友人同士であっても、100%理解しあうなんてことはなく、ちょっとしたことで仲違いし、なかには長年の付き合いがそのとたん終わってしまうことは良くあること。
人は常に変化するもので、肉体・思考も常に進化・後退して決して1点にとどまることはない。
 以前は共通の見解や思考方法を持っていた友人が徐々に自分と違うことに気が付く。
 その違いすらも認め合う間柄でないと、ちょっとしたことで友人関係は崩壊してしまう。
そもそも違うものなのだ。違うからこそ面白いということでもある。
 それが、文化や生活習慣の違う他民族間では、さらに複雑だろう。
 それには、人々の心に余裕がないと受入れることは難しいんではないか?
昨今のスピード重視・経済優先の時代では“ゆとり”や余裕ははかけ離れていてしまう。
 グローバル的な意識の持ち直しが必要なのかもしれない。
なんだか、まとまりがつかなくて申し訳ない。