さてさて、まーだまだ話の大風呂敷広げてまいります♪

「素直でまっすぐな走り」、「天使の走り」、「神の子としての走り」、そこらへんのことを考え直させられています。


だんだん意味不明な感じになってきましたが、こーゆーこと考えてると、わきゃわきゃしてきちゃうんです♪


ということで、今日は少し(だいぶ?)、抽象論に走らせてください。

一度まとめておきたかったというだけの話ですが・・・


とはいっても前回までの話からつながっているので軽くレビューしておくと、

サッカー(スポーツ)の審判という仕事は、神様の役割をするように仰せつかった人間なので、サッカー(スポーツ)の審判の走りは、おのずと「素直でまっすぐな走り」、「天使の走り」、「神の子としての走り」に近いんじゃないか・・・!?

というような話です。


そういえば、以前に「天使の走り」なんていうタイトルで記事を書いておりました。今読み返すと「・・・」って感じですが、もしよろしければ遊びに来てみてください。

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シリーズ「天使の走り」


プロローグ

http://ameblo.jp/bob19/entry-10108066172.html


第一章

http://ameblo.jp/bob19/entry-10108732582.html


第二章

http://ameblo.jp/bob19/entry-10109385081.html


エピローグ、だがしかし、その起源

http://ameblo.jp/bob19/entry-10108072361.html



話戻します。


ポイントは、「まっすぐ」という軸が、人間には理解できない、あるいは見えないものであるということ。(どっちが地球の中心で、どっちが天を向いているかなんて、感じることはできても、「直接」見えるもんじゃないですもんね)


僕なんかが、「これがまっすぐな軸だ!!」とか思っても、時間的あるいは空間的に違った場所では、それは全然まっすぐな考えではなくなってしまう。


そうではなくて、「まっすぐな軸」というものは、2本のらせんが紡ぎ合わさり、お互いが共通軸に対して点対象に、1/2回転だけズレ合って、お互いが補完し合いながら「二重らせん」を形成することで、はじめて「見えてくる」ものなんだと思います。


つまり・・・


「まっすぐな軸に沿って存在しているものなんてない」

「まっすぐな軸は、二重らせんの中心を貫くものである」


こんなことを叫びたかっただけです。


以上、「走ることについてボブが語ること」でした。


ほら、結局ここに戻ってきてしまいました。

どんなに頑張っても、結局全部書いてあるんだもん、、、


ということで、マイケル聴きながらタバコ吸ってきまぁす♪