さてさて、週末にJリーグを観戦してから、話が広がってまいりました。


まさか審判の走りに注目することになるなんて・・・よっぽど試合に興味がなかったのでしょうか、笑っ。

できれば、審判の方がダントツに、まっすぐないい走りしていたから、と思いたいところですが・・・


そして、「いい審判」ということを考えているうちに、「いい走り」、すなわち「いい生き方」というようなことまで話が広がってきました。

(「もういいよ!!」って感じかもしれませんが、「いい走り」と「いい生き方」はほぼ同じです。)


「いい審判」とはどんな審判か


いろんな意見があるとは思いますが、僕の中では、90分間の試合が終わった後、審判がいたことをようやく思い出すような審判がいい審判だと思っています。


つまり、「優秀な審判は存在や気配を消すことができる」、というような話です。


優秀な審判ほどサッカーの試合中に存在感を消すことができることは、拳法や武術の達人や一流の忍者が気配を消すことができること、、優秀な政治家が時にテレビに顔を出さないこと、素晴らしい音楽を創り出すアーティストが時にミュージックシーンから姿を消すこと、そんなことを想像させてくれます。


そしてそんな存在感や気配を消すことができる、もしくは意図的にコントロールすることができることが、なんとなく「生き方」というものを考えさせてくれる気がします。


ところで、「いい走り」してるときって、余計なこと考えなくないですか?


「いい走り」しているときって、「めちゃめちゃ走ってるぜぃ」っていう走りしなくないですか?


マラソンを見ていても、「いい走り」している選手って、時間や空気の流れ、なにより集団を乱さないような走りをしていたりしませんか?


なんとなく、「リズムがいい走り」ということがわかってきたような気がします。


そして、自分の走りのリズムがどれだけ乱れていたかを、少し理解できるようになってきました。

感覚としてはわかっていたつもりですが、一度富士山の山肌に浸みこんで、麓の村に湧き出てきてくれた感じ。


とはいえ、「リズムのいい走り」ができるようになるのは、もちろん、ずっとずっと先のお話、、、