みちのくのホークスファンが書く野球雑記
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たいとる

尊厳死ってなんだっけ?

ここ数日、アメリカの尊厳死を選んで亡くなった女性についての話題が上がっている。

ただ、今回その女性が選択した死に方というのは、尊厳死とよべるものなのだろうか?

大学で刑法を学んでいたとき、尊厳死と安楽死について、発表したことがある。両者の違い等について様々な議論があった。日本では尊厳死は認められ、安楽死に関しては刑法上、自殺幇助あるいは、同意殺人となりうるものであり、違法であると文献にはあった。

尊厳死というのは、最末期の患者で助かる見込みがない者が、いたずらに延命措置はしないが、痛みを緩和するための措置をし、安らかに命を終える、つまり人間の『尊厳』を保ったまま死ぬことを目的としたものであり、事前に本人の意思(リヴィングウィル)が示されていることが必要なものである、とされていた。

他方、安楽死に関しては、最末期にある患者が薬剤等の力を借り、自ら、もしくは医師の手により苦痛がなく、死ぬということである。

両者の違いは時間の進み方であり、尊厳死は苦痛を取り除きながら、安らかに死に向かうものであり、安楽死は薬剤を投与したら直ちに死を得る物でる。

そのため、苦痛から逃れる為に実際は死にたくなかったのが一時の感情で死んでしまったり、本人の意思が介在することなく、行われてしまう危険性もある。

さらには、東海大事件でも示されているが、薬剤投与によって死に至らしめることは、医療行為とは到底認められず、被告となった医師は有罪を言い渡されている。

判例で例示されていることもあり、日本ではいまだ安楽死は認められていないので、海外に渡航し、死に行く人々も少なからずいる。

今回の報道で、尊厳死と言う言葉が躍り、独り歩きしてしまっているのか、それとも安楽死は言葉として使用されなくなってしまったのか、はっきりとはわからない。

しかし、両者には明確な違いがあり、違法なものと合法なものが同一の言葉であらわされるのはいかがなものだろうか?

また、「苦痛に耐えきれなくなり」薬剤投与により直ちに死亡した当該女性に関して言えば、当時の概念であれば、女性が選択したのは安楽死なのではないだろうか?

亡くなった女性の重い決断に関しては、私は何も言うことはできないが、日本においては、それは安楽死であって違法なものであり、尊厳死はもっと違う概念を内包した言葉であると思う。

日本語の誤用が多発している昨今にあって、両者を的確に使用しなければ、その違いに苦悩した、医療、司法、また患者であった皆さんがどう感じるか。

その辺りをきちんとメディアには考えて『ことば』を伝えてほしいと改めて感じた。

やっぱり

落胆を禁じ得ない。

南三陸町の防災対策庁舎解体を佐藤仁町長が表明。しかも、年内に完結させる、とのこと。

50年前の教訓は生かせなかった。なんぼ、話さ聞いても、写真や映像を目で見ても、津波っつうもんが、どんなもんだ、なんてわかんねかった。

50年前、チリ地震津波があった。

その、教訓を後世にってなことかなにかわかんねえけど、志津川の町さはモアイ像とか、松原公園さは、コンドルのオブジェがあった。

志津川病院の前さは、津波の高さ示す看板もあったんだげっと、想像なんかできねがった。

津波があんだけおっかねえもんで、生活の匂いすら流しさってしまうなんて。

おばあちゃんから、らずもねし、おそろすねし、おどけでねえもんだ。とにかぐ、たげどこさ逃げろ。
あんだの命ばりすんぱいしらいん。おれはずぶんでなんとかすっから!

って小さい時に何度も聞かさいだ。

標準語では、とにかく、大変なものだし、恐ろしいものだし、冗談でないくらい危ないものだ。とにかく、高いところに逃げろ!お前の命だけ心配しろ。私は自分で何とかするから!といったようなニュアンスだろうか?

とにかく、チリ地震津波はばあちゃんからよく聞いた。写真も見せられた。

おそらく、そういう経験した人は、三陸の浜で育ったものなら、少なくないはずだ。

んでも、わからなかった。

被害が明瞭にわかるものはほとんど、というより全く無かったからだ。

石碑は朽ち、被災した建物はない。

津波が、50年に1度は来ていた、常襲地帯であったにも関わらず、未経験の者は、津波の真の恐ろしさを知らないまま、被災したあの日を迎えてしまったのだ。




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