1.法の支配という言葉のおかしさ

ソクラテス・プラトン・カントからトクヴィル・サルトルにいたるまで、法の支配が最上位になるという考えはない。

 





法が最上位、法こそが道徳である、というのは錯乱している考えだと思います。

 

そういう考えは古代から今にいたるまでない。

 

 



2.道徳とは、端的に言って、暗殺も含まれる



1)サルトルの場合



つまり、法の支配とICCと言ったところで、世界はそうなってはいない。

道徳的に議論すべきなのだ。


3.世界の道徳的な考えを分析

もっとも大切な人々ーー国家のために命をかける諜報員

どうでもいい人々ーー依存しているだけの女子供


この考えはアメリカのある女性政治家が「女子供などいくらでおころしなさい」と言っていることからも首尾一貫している。

また原爆の時もそうだったわけで・・

それと反対に国家のために命を懸ける諜報員や軍人、たとえば、バミューダ海域で遭難しているヨットを救出するため、海兵隊がヘリで救出しようとするが、ヘリが墜落してしまった。乗り組員は助かったが一人いない。その乗組員を叫びながらめちゃ捜索するのです。映画『パーフェクト・ストーム』を見ればそうなっていることがわかります。



これは日本とは違う。日本では戦前の兵隊をある種、仲間として大切にしなければということが感じられない。

やたら女子供を持ち上げて、それを守るためにという。


そこの温度が違うと思います。


基本、国家のために命をかける、諜報員こそが重要であって、それを見捨てた大統領は暗殺された。

そのぐらいのものでしょう。女子供に性加害がどうので暗殺はされない。刑務所で終わりでしょう。

人権的カーストがあるのです。

どうでもいい、権利の密猟者は殺してもいい、環境を破壊する密猟者は殺していい、という考えです。

そこは全く日本とは違うのだ。そこにはどうしても仏教的な性善説があると思われる。

赤子や子供、女性はピュアで純粋で守るべきなのだということがベースにあるのだろう。


またそうした子供や女性を飾りにつかっていたのがヒトラーでもあるでしょう。

これが性悪説ベースだと、国家のために命を懸ける諜報員こそが最高の守るべきものであって、それを裏切って見殺しにした大統領は暗殺する。


そんなに女子供に重きを置いていないからこそ、女性と出会って、抱いて、過ごすとかできるのだ。

マチュピチュだかの山で遭難して原住民の女と出会い、雨の中、よりそうとか。

そんなに人権だの、先に来ないですね。むしろ道徳として、女を雨から守ってやろうとか

性加害がどうの、そんな観念は先にこない。裸で抱き合ってぬくもりをもってあっためることもいいわけで、それを
人権だとか性加害だとかで法で縛り付けない。
『ジャングル ギンズバーグ19日間の軌跡』とかの映画を見れば・・やはり仲間を最後まで見捨てない。

つまり日本もICCも上の道徳が抜け落ちており、おそらく、性悪説からはどうでもよい人権を持ち上げてしまっていて、
それは現在でも一貫して続いていることをあまり知らず、的外れの反対をしているような感じもしますね。

スタンダールの『ヴェニナ・ヴァニニ』でもレジスタンスの男と、金持ちの娘が恋愛をするのだが、レジスタンスとして仲間と闘いに行くという男に「私とまったりすればそれでいいじゃない」と反対した女は鎖で叩かれましたね。

本当に男とはなんぞやと、そのことについて、あまりに矮小化された男女平等の議論の中で煙に巻いていしまう国は、またいつものことで、成金左翼かなんかの一派かもしれないと、疑念の目で少し見た方がよさそうです。