自分は基本、音楽って言うのはすでに終わったものと思っているので、音楽という名目では語りたくないというのがあります。ジョン・ケージで終わってますしね・・。それ以後、もちろん音楽は現代音楽として続いているというのはわかるが、シュニトケとかシュトックハウゼン、ハンス・オッテとかもちろん継続といわれるものはあると思います。

 もちろんそれは素晴らしいのはわかっている。特にグスタフ・マ―ラーについては私は若い頃から影響を受けていて、その素晴らしさはわかっている。

 しかし、現在の商業音楽というのは、まずはあまりつながらない。つながっていると思うのは危険でもあるのです。

 したがって、現在の商業音楽全般は音楽とはいえないものなので、ミュージーと言っておきます。


1.ミュージーの根本

 これもいろいろ音大とかで分類などいろいろあると思いますが、ジャズはどこから来たとか、何かとクラシックとつながりがあると言うことにしたいと思われるのでしょうが、ミュージーはクラシックとは別物ともいえます。


 ミュージーの根本はダンスリズムなのです・・。

 ダンスをするためのものなのです。これはロックからヘビメタからフュージョン・ジャズまで一貫してます。

 しかもこれはラテン系リズムなのです。このラテン系リズムにはまっていないようなものははっきりいってプロのレベルとして聴けない、失敗作、没ぐらいのもので、これがクラシックとの違いであって、クラシックの対位法の禁則とかも関係ないのです。


 すべてはリズム、ラテン系リズムがあって、それに付随してメロディーやアレンジがあるのです。

クラシックにはそういうものは特にはないです。


 例えば、ラテン音楽といえば2,3とか3,2のリズムの核があります。

 タンタン、タタタかタタタ、タンタンか。これはただリズムとしてそれだけってことではなく、このリズムを核としてグルーブして広げるというか、そのツボにはまってないのはすぐわかる。

 

 


たとえばカシオペアの「CATCH THE WIND]


タンタン、タタタに合わせてきいてみると、実にそのタンタンターッタッタンとバリエーションはあるものの、2,3と言えるツボをもっており、出だしのメロディーもそのリズムに乗るように作られている。べたに全部のタタのところにカエルの詩がとメロディーを載せてもそれはツボにのっていることにはならない。

最初のだーだだだだーだっっていうところだって、そのあとにうっうんみたいな腹を打つ無音があるでしょう。

ブレスというか息継ぎというか・・これでリズムのノリとメロディーが合致するのです。その合致がないと、没レベルの聞きにくさというか、禁忌がはじけるというか、だめになるのです。


はじき方を知っているのがまあおおむねプロなんです。どこで音を出さないとか、それが重要なんでしょう。

ドラムそうです。どこでアクセントや強弱を出すか。やっぱりこのリズムの糊で出さないという部分がありますし、

感情ではない。演歌のような強弱ではないのです。ラテンリズムのブレスとしての出さない、というものがあるのでしょう。


確かにいわゆるヒットしているものでもしょぼいなというのはたくさんありますし、例えば

 

 

とか花は咲くとか、一応2.3になっているのですけど、カエルの詩と同じで、もうつながってしまっていて、それでもヒットすればいいのさ、というのはあると思います。

パソナ迎貧奸とかそういうモノを別としても、これはどうもいかんなと、それでもやはりラテンのリズムってやっているんです。

ツボ的なノリがないというか。

それでも商業音楽としての基本でやっているんです。ということですよね。

ただこういう曲はドラマのパッケージとして、設定されたもので、ドラマの方に思い入れがあるんです。

浅野温子の101回目のプロポーズの主題歌ですのでね・・。野島伸司の脚本ですから・・

野島伸司のおかげでヒットしたともいえましょう。

 2,3という観点では、ビヨンセのパーティなどもそうでしょう。2.3をベースとしたツボ、ノリ。

 

 

 


 ですが、脚本や映画も素晴らしく、音楽も素晴らしいというものあります。

 

 


これはマリリン・マンソンを見出した、トレント・レズナーの作品ですが、これはもうリズムとかないですよね。

クラシック的なものというか、これはこれで素晴らしいでしょう。

SAYYESなどより全然いいですし・・

 

もともとはロックというか、ハードコアパンクの人なんですけどね・・

この曲は監督(デヴィッド・フィンチャー)の要望があって、疲れてマッサージに行って幻想的な音楽に癒されていて、こういうタイプのものを
作れないかと依頼されたそうですので・・。

もちろん、こういった音楽はジャン=リュック・ゴダールのHans Otteの起用などにもあります。

 

 

これはもうラテンのリズムとかはないですね・・これはこれで、ヒットするものではないですが、この音楽全体からショット感があふれ出ていますし・・。

 カシオペアや高中のような音楽にもこういうショット感はあります。

 ただのラテンのリズム以上のものがある。

 ラテンのリズムで作れば、商業音楽のプロレベルで載せられるものはできるということです。

 ただ、個人の作家として、それ以上の個人としてのセンセーショナルなヒットを作る、そういうものはその基本プラス、こういったショット感をつくるということがあるのでしょう。



 2.ショッティング・モード

 こういったショットを醸し出しながら、音の造形をする、それはまたレベルが違うものがあると思います。

これらはクラシックの時代から、流れがあるものです。


 

 

 


これはマ―ラーが娘が亡くなったり、奥さんのアルマ・マ―ラーに不倫されたり、時代的にナチスの匂いが生まれてきていたり、
そういう中で作られたものです。この手の音楽は最後の第9にも表れています。

マ―ラーはジャン=リュックゴダールも好んで使用しています。もちろんマ―ラー起用の大御所はルキノ・ヴィスコンティですが・・。

  

 

 

ということで、このジョット的な造形を生み出すものというのはまた、別のものでそれが素晴らしいミュージーの人はそこそこいますね。

 

 

ただほとんどはそういうものはないわけで、基本のラテンのリズムを中途半端にしているようなもので、
とても商業音楽としてのっけていいの?みたいな駄作も多数なのです。