無月の光明 | 村杉Akiraの文学コラム

村杉Akiraの文学コラム

新しい時代感覚で、人間..花や葉そして海や空や街を、淡い色、鮮やかな色で描写。心の色も..。
色調は..絵の具箱より描写...。女性や恋愛を綺麗に描いた...新ロマン派の小説やエッセイと言う絵巻物。村杉Akiraの世界にようこそ...京都、湘南、横浜、東京、博多等が舞台登場。

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  先日、作家の又吉直樹氏と会った後に彼の二冊の本を購読しましたが、今の処コラムを半分読んでいるだけで先に進んでません。周りの読んだ人々に読んだ感想を数人聴きましたが、つまらないとか面白くないとかの感想が多数でした。
  でも僕は人の言うことは聞きません。自分で読んで納得しないと答えは出しません。

 況んや本を全く読んでない人間から、又吉氏が本を2300冊読んでいる読書量に対して本をたくさん読むと精神状態がおかしくなるとか、病んでいるという声は全く信用しません。どうせネットの情報からでしょうとしか言えないからです。今の時代、SNSが広範囲に広がっているので、安易に情報が取れます。ネットは情報に過ぎず知識でもなく知性でもないと思います。

 やはり本や新聞を読まないとちゃんとしたことは解らないし、TVのニュースも見なければなりません。ネットの情報だけで物知りぶるのは愚としかいえません。ネットの情報には不正確なこともあり検索の仕方によっては素人の記事を読むこともあります。

  また、人のことを精神状態がおかしいとか病んでいるとか簡単に言えるのでしょうか。精神科や心療内科にかかっているは患者さんたちは苦しんでいるのですよ。
  村上春樹氏のノルウエーの森のヒロインも統合失調症を匂わす表現がありましたが、はっきりと病名は明記してません。又吉氏に関しては自分の心と外界の人々との葛藤について悩み抜き、本と出会いから本に回答を得て小説を描いてきたと書いてましたが、それは精神が病むのではなく、自分と他人の間のことを本によりずっと考えて確認してきたと思います。

 僕は自分自身が精神的に病んでる訳ではないのですが、企業時代そして今住んでいる町は高齢者が多いので、いろんな相談を受けてきました。それに伴ってこの分野の専門書もたくさん読んできました。当然僕はドクターではないので、回答がでることは出来ないのですが、病気の矛先を別の楽しいことに向けて少しは明るい方向に向けられたとは思います。

  よく、うつ病を薬を飲まないで治すとか書いてますが、医師の受診と服薬を無視してはいけないと思います。うつ病については10人に一人と言われます。でも潜在的なうつ病の人口はもっと多いと思います。また統合失調症という病気もあります。こちらは100人に一人と呼ばれます。
  いづれにしても現在の精神科の病気は現代病とも言われ誰がいつかかってもおかしくないのです。病気にかかる引き金は対人の因子です。人によって若年層でかかる人もいます。この場合は家庭の要因、学校の要因、先生や友人の要因があります。
  また恋愛の要因、企業のストレスや長時間勤務、企業の数字のノルマ、企業の倒産そして倒産による家庭生活の崩壊などもあります。でも病気になったからと言って本人の知力とは別問題といえます。

 他者の要因で病気になった方々は、うつ病の方々は本人の精神的な弱さではなく脳内の神経伝達物質であるセロトニンやドーパミンの分泌不足によります。これらの神経伝達物質の不足はやる気や向上が極端に不足し、落ち込み自責の念を長く持ちます。それを改善するには抗うつ剤の投与となりますが、この抗うつ剤の抜きどころが遅れると躁転します。躁になるとうつとは大きく異なり自分が一番偉いと思い込む唯我独尊となりとてつもないことを起こします。怒りっぽくなり浪費をし事業を起こして大失敗したりします。うつよりも躁の方が手に負えないのです。でも躁のレベルを中和する薬もあります。

 統合失調症とは、今日は触れませんが躁鬱病とは全く違う病気です。陽性症状と陰性症状とがあり陽性症状は幻聴や幻覚が起こったり肌を誰かに触られたりする感覚、誰かに常に覗かれている感覚があります。陰性症状は感情の平板化があり喜怒哀楽が表情には出ません。

  ストレスの多い現代です。この種の現代病は多くなってます。でもこのような病気にかかった方々も特殊な人々ではありません。だから人間と人間の付き合いを僕はします。困ったものが周りにそういう患者さんを知らない方々の無知です。無知が偏見を呼び、言葉の使い方ひとつにしても患者さんを傷つけます。そういう仕事の専門職である病院の看護師や福祉関係の仕事の人間が不用意な相手を傷つける言葉を吐くケースも多いようです。

 僕はこの分野では素人なんですが、よろずなんでも相談屋になってしまってます。でも立場的にはやはり素人なので、中央大学に入学した時に司法試験を勉強して正義感の強い弁護士になれば良かったかなとも思います。

 でも僕には文章があります。小説があります。この分野で弱者の立場で書いていくのも僕が僕である存在理由だと思います。

  少し、僕の中の書くことへの心の芯が変化してます。



追記

物を書く時の思考状態は、その時のそしてその日に起こったことに左右されることが多い。ましてや深夜に書く時は良くない。深夜には出来るだけ書かないようにしているが、纏まっていない思考を一気に吐き出す傾向にある。小説を書く時は前々からの構成があるのでよく考えて書くが、徒然に書く時は深夜は思った通りに書いてしまう。

深夜は精神科について書いたが、決してそういうテーマで小説を書こうと思っている訳ではない。 近代文学や現代文学でよく書かれているが、私は自分の経験のないことを文章にはしない。ただ現在住んでいる町は高齢者やその介護の話をよく聞いたり、心の病の方々からの相談を受けたりのケースが多いので、素人ながら相談にのることが多い。私に話したところで抜本的な解決にはならないと思うが、話すことにより少しでも心が軽くなればと思い明るい会話を心掛けている。でも話すことによりその方々の嫌なことの復習になればいつまでもその気分を引きづるので、さり気なく話題を変えたりもする。

昨日はそのような一日であった。私が福祉の仕事に従事している訳でもなく、人間と人間の付き合いをしているつもりである。またそのような会話から私は小説を書くつもりはない。私の小説はある種の近代文学や現代文学とは似ていない傾向にあると思う。

今日は暑く気温が高い。そしてど真ん中の晴天である。夏の暑さの中でも太陽の光を浴びれば、気持ちが前に出る。深夜はやはり厭世的な気分になることもある。執筆や小説の創作は深夜は私にとって避けた方が良い時間帯である。午前午後型で行くべきである。そのためには朝食をしっかり食べることが必要と思う。

今食べたい朝ご飯は、白米、鯖の塩焼き、大根卸し、卵焼き、野菜の味噌汁、漬物という普通の朝ご飯だが、これが意外と難しい。毎日コンビニのおにぎりばかりを食べていても身体に良くない。私の住んでいる町は都市開発のため、極端に店が減り買い物自体に困っている。

今日は今から太陽の光を一杯に浴びながら海の方へ行こうと思う。太陽と青い海の方が私に似合う。行き先は香椎浜のモールそして海を取り囲みながら高層マンションのそびえる福岡アイランドシテイ。。。そこへの目的は食材の買い物。。

明日からも頑張ろう。。。