ミラクルバナナのシネマート六本木での上映初日の様子がとても気になります。まだ、ファンの方達や関係者からの報告は入って来ていません。
 ところで、ふとさんの角松ファンの掲示板(http://www.futo.com/bbs/c-board.cgi?cmd=tre;id=kws )が落ち着いて来たようです。昨日角松マスターのアルバム”ALL IS VANITY”に関する書き込みがあってとても懐かしく思いました。


 1991年の4月、イラク人質から解放されてようやく体調が戻ってきた頃、拉致されていた時には感じなかった恐怖心に苛まれて(多分湾岸戦争の空爆が始まって5日後に私達が、拉致されていたダムが完全に破壊されたと聞いたせいもあるのでしょう)、新宿で毎日飲んだくれていました。何日目かの夜に、クラブのママさんが「有名なミュージシャンの角松敏生さんが『山口さんを紹介して欲しい』とおっしゃってます。」と話しかけて来られました。

 私は1981年からの10年間は、ロスアンジェルス・クウェートと殆ど海外にいたので、残念ながら角松さんのことを全く知りませんでした。でも、ママに「いいですよ。」と応えると、綺麗な顔をしたスリムな青年が来ました。「”ALL IS VANITY” は湾岸戦争のことを思って作った。」とかいろんな話をした後、意気投合して彼が”WHAT IS WOMAN?”を弾き語りで歌ってくれました。(僕はその時彼の才能についての知識が全くなかったので、「お返し」と言って、イタリアのカンツォーネを歌いました。今考えても、顔から火が出るほど恥ずかしく思います。)

 その後も何度か同じクラブで会い、飲み、語り合いましたが、その年の5(だったと思う)にツアーが始まり、最初の市川市民会館のコンサートに招待されました。当時私は市川に住んでいたので、何か縁のようなものを感じました。

 そのコンサートで彼が舞台から語りかけてくれました。「今日は大切な友達が来てくれています。彼は湾岸危機の時イラクで人質でした。『後で楽屋に来てくださいね。』」客席は若い女性が多かったので、恥ずかしかったけれどとても嬉しかったです。

 コンサートに浸り、こんなに素晴らしいアーティストを知らなかったことを恥ずかしく思いながら、一方で彼に偶然会えて、その場所にいる「一期一会」に感謝しました。

 "DISTANCE”が流れた時、多くの女性が涙を流していました。私もこの歌の詩には思い入れるものがあったので、思わず自分も涙ぐんでしまいました。

 

 他にもいろいろな思い出があるのですが、現実に帰ると「"ALL IS VANITY"の良い楽曲が、現実的には演奏出来ないなんて!」。これが、福岡でストリート・ミュージシャンを手弁当で支援する原点となりました。若いミュージシャンを守る組織の構築は当面頓挫していますが、大学での新しい試みなどで、ミュージシャンの権利が守られるようにコツコツ支援して行きたいと考えています。

 頑張るぞ!


山口実