昨日は「ジャーナリズムの独自性の大切さ」について私の意見を述べましたが、「地方(地域)の独自性・自立性」についても少し考えてみましょう。「地方の独自性・自立性」とは取りも直さずその「地方の基礎力」であり、それがなくては真の民主主義の樹立は望めません。

 最近、道州制や三位一体の改革などが議論されている中で、なぜか逆に中央集権の傾向が強くなっています。経済的に中央政府に頼っていたり、利益を上げている大企業の本社の多くが中央にあったりする現実が、地方の自立を阻害しています。言い換えれば、「自立の為の基礎力」に関する認識と実力が、地方に不足していると考えられます。

 地方の独自性・自立性は、中央への依頼心や憧れからは生まれません。まず、その地方の持つ歴史や文化や気候風土環境を十分理解し、それを活用する自らの「政治的・経済的・文化的基礎力」を認識し、その「基礎力」を高めることが大切です。そしてその為には長期のVisionと夢を持って、楽しみながら努力を継続することが必須です。

この「基礎力」やVisionや地道な努力なしに、例えば、オリンピックを開催すると言うような、謂わば「一過性のお祭り」の為に莫大なコストをかけることは、その地方と住民に大きなリスクと疑問を生じさせます。地方の「基礎力」を高める地道な方法はたくさんあるはずです。例えば私たちが仕掛けた「焼酎ルネッサンス」とか、「福岡音楽都市構想」(これは「福岡音楽『産業』都市構想になってしまったので、私は離脱していますが)とか、大分県の平松元知事が推進した「一村一品運動」とか、姉妹都市との交流の活発化など、です。そう言った地方独自の活動の中から、いろいろなアイデアが出て、言葉通り「地力」が付いてくるのではないでしょうか。これは地方の国内外の活動に共通して言えることです。

また、この「基礎力」と言う概念は、語学を初めとする学問にも、音楽にも当てはまることだと思います。英語の基礎をしっかりと身につけていなければ、何度勉強しても上手くはなりません。音楽の基礎がしっかりしていなければ聴き手としての理解力も高められませんし、プロのアーティストとしての活動も長続きがしません。つまり、「基礎力」は個人の自立にも不可欠なものです。

そして地方の自立にしても、個人の自立にしても、この「基礎力」を高める日頃からの不断の努力が、私たち一人一人に求められているのです。

山口実