何事においても基礎力が大切であることは明日少し詳しく書き込もうと思っていますが、今日の西日本新聞の一面の「記者証言拒否訴訟 取材源秘匿認めず 公務員なら違法 東京地裁決定 『法的保護 値せぬ』」(HPの記事は一部省略しているがご参照。http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/morning_news007.html )を見て感じたことがあるので手短に書き込んでみます。

 民主主義の主要な基礎として、三権分立があります。大辞林によれば、三権分立とは「国家権力を、立法・行政・司法のそれぞれ独立した機関に担当させ、相互に抑制・均衡をはかることによって、権力の乱用を防ぎ、国民の権利・自由を確保しようとする原理。」です。

 しかし、最近の日本は立法府である国会と司法府である裁判所が行政府(内閣)に媚びへつらう傾向が強くなっています。最近の個人情報保護法や共謀罪の法制化の動きや首相の靖国参拝違憲問題に対する司法の裁定回避等はその典型的な例ですが、上記の東京地裁決定も同様のものと考えられます。

 そもそも民主主義とは文字通り国民が主体の制度であって、国家権力が主体ではありません。立法・行政・司法の三権分立制は国民主体の世の中を守る(もちろん権利だけでなく義務もあるが)為に、便宜的に設けられたものであって、国家権力(特に行政府である内閣)が独走(或いは暴走)することを許していません。

 また、国民の側に立って三権分立をチェックすべきジャーナリズム(特に大手のマスメディア)もその役目を果たさず、権力におもねる傾向にあります。もちろん、情報抑制に関する立法の試みや司法判断がなされると反対の論陣を張るジャーナリズムも多いのですが、その訴えの継続性や迫力に欠けます。

 やはり、民主主義は私たち国民自身が守って行くのだと言う自覚とそれに基づいた言動が大切なのではないでしょうか。今の三権分立の危機的状況から、そんなことを考えました。

山口実