ワールドベースボールクラッシック(WBC)2次リーグの第一戦日本と米国の接戦となったが、好ゲームに水を差すジャッジがあった。あの温厚な王さんがあれだけ抗議をし、イチローも憮然としていた。またランナーは日本球界で一番足が速く、好走塁で有名なロッテの西岡選手、アマチュアならまだしも。ニュースの画面を見ても、タッチアップが早かったと言う事はなかったようだ。http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200603130150.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/wbc/2006/topics/200603/at00008320.html
今回のことは日米の世の中の現状を象徴している出来事に思える。力があれば何をやっても良い。自分に都合が悪くなると公正さを捨て去って、権力にものを言わせて真実を曲げる。ダブルスタンダード。
そして日本のマスメディアはマスメディアはこう言う時には「長いものには巻かれろ」。「主審が決定したことだから」と唯々諾々。あるニュースキャスターは「こんな時に抗議をするのは武士道に反する。」 呆れてものが言えない。こんなことだから、米国だけでなく中・韓国や北朝鮮にまでなめられる。
たかがベースボール、されどベースボール。一事が万事。言うべき時に言うべきことを言うのが筋だ。国際社会で「沈黙は金」なんて事はない。しっかり自分の意志を主張すべきなのだ。
この出来事を見て思い出すのは、ロスアンジェルスオリンピック(1984年)での野球の決勝戦。
私が残業を終えて、午後9時頃に帰途につき、車のラジオをつけると日米戦の実況中継。まだ、4回の途中である(後で分かったが前の台湾・韓国の3位決定戦が延長になったせいで決勝戦の開始が大幅の遅れた)。その時点で米国3:日本1。日頃のドジャーススタジアムの状況を見れば、日本選手たちが四面楚歌の中で奮闘しているのは容易に想像できる。居ても立ってもいられなくなって、急遽度ジャースタジアムへ行く。
入場券は持っていなかったが、係員が「もう試合の途中だから」とただで入れてくれる。(この辺もやはり、当時の米国はおおらか)観客の"U.S.A""U.S.A"と言う観客の声がスタジアムに雷鳴の如く響き、その中で日本チームは孤軍奮闘している。私は一塁側2回スタンドに陣取ったが、周りももちろん米国の応援ばかり。半ばやけくそで、日本の応援を始める。「かっ飛ばせ!」「かっ飛ばせ!」
少し離れた席の刺青のお兄さんが"Remember Hiroshima!".ひるまず応援を続けたが、刺青アンちゃんが更に騒ぎ出す。近くの米国人が何と守衛を2人呼んでくれて、僕は両側をガードされて応援を続ける。
その内僕の周りにメキシコからの移民と思われる人々が集まる。「お前、何て言って応援しているんだ。調子が良いなあ。」「もちろん、Hit the homerun。」「よしそれなら俺達もお前と一緒に応援してやる。実は、米国の人種差別、あまり好きじゃないんだ。」
確か5回だったと思う。荒井選手(当時19歳で日本石油の4番打者、後にヤクルトに入り若松2世と言われた好打者)がソロホームランを打つ。僕の周りの皆の「かっ飛ばせ!」「かっ飛ばせ!」と言う声が、更に大きくなる。それからランナーを二人(一人だったかも知れない)置いて、広沢選手(当時明治大学在学中で六大学野球のスラッガー。後にヤクルトのホームラン王)がホームランを打つ。(「良くあの四面楚歌の中で、ホームランを」と思ったが、後で「米国の応援や日本への野次の英語が分からなかった。」(笑)らしい。)これで5対3の逆転。
その後は、宮本投手(その後巨人のピッチャー、今は解説者・タレント、彼は英語が分かった)が応援にビビッて二連続四死球でピンチを迎えたり、下手投げのベテラン投手がそれを抑えたり、荒井選手があの短い足で好手を見せたり、スリリングな展開で結局最終回。
それまで夢中で応援していた私も正気に戻って「もしこれで日本が勝ったら、米国人の観客は僕を襲ってくるのだろうか。」ちょっと怖い。いよいよ試合終了。僕の両脇を固めていた守衛が離れて行く。
「ちょっと待ってよ。これからが肝心!」観客が私の方へ駆け寄って来る。私は身構える。"That was a good game."皆が僕に握手を求めて来た。感激!
あのFairな米国はどこに言ったんだろう。そして、苦境を跳ね返す日本は。
山口実
P.S.米国のマスコミにちょっと救われる。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/detail/20060314/fls_____detail__000.shtml