先祖を敬うというと靖国参拝とか愛国心を持ち出す人々がいる。これは所謂暴論と言わざるを得ない。先祖が過去に間違いを犯したなら、それを繰り返さないことは彼らを敬うことに繋がるし、一方で宗教的な行事や国を愛することを国のリーダーが率先して行ったり、国が強制したりすることが、先祖を敬うことに繋がるとは思えない。

 そもそも私たちの先祖はその多くがアジアを起源としており、日本の多くの文化も同様である。従って、先祖が生まれ出た地域の国々と対立することが、先祖を敬うことにならないことは明らかである。

 もちろん、人間は試行錯誤を繰り返し、進歩してきた(一部には退歩している人々も見られるが)わけで、アジアの国々でその政治体制や支配体制に問題が過去にあり、現在もあることは否定しない。しかし、それはその国々の人々を否定することには繋がらない。

 今、日本はアジアから孤立しつつある。首相の靖国神社参拝や米国追従の政策がアジアでの日本の影を薄くしていることも否めない事実である。一方で、そのような状況をしたたかな中国やインドに利用されて外交的に孤立し、今まで日本が地道に築き上げてきたアジアマーケットでの日本の経済的優位を失いつつあることも事実である。

 「愛国、愛国と叫びながら米国の属国化を推進する」のか、「アジアを重視しその発展へのリーダーシップを取るべく尽力していく」のか、今日本がその重要な岐路に立たされていることを私たちは十分に認識し、行動すべきである。

山口実


 P.S. 今日のインターネットニュースに「ライス国務長官は昨年7月にラオスで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域フォーラム(ARF)を欠席。長官は就任後に約60カ国を訪問したが、東南アジアではタイ一国を訪れただけだ。オーストラリア駐在の米大使は約1年空席が続いている。このため、東南アジア諸国などには『米国の関心が薄い』との不満が出ており、アーミテージ氏は現政権のこうした対応について『大きな間違い』と述べた。」と言う記事が掲載されている。

米国もアジアから孤立しつつあり、それを意識して今般ブッシュ大統領のインド訪問の際、「インドが国内の各原子力施設について民生用と軍事用の区別を明確にし、民生用については国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れるのに対し、米国はインドに原子力発電の技術供与などで協力する」ことに合意した。この合意は、イランに対する核放棄要求とは明らかに矛盾するダブルスタンダードであり、またインドが核兵器を既に保有しているにも拘らず、軍事利用出来る各施設が査察対象となっていないと言う大きな問題を含んでいる。

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060305k0000m070128000c.html
一方、「米国の核兵器開発・管理を所管する核安全保障局(NNSA)のブルックス局長は一日、下院軍事小委員会で証言し、核爆発を引き起こす核兵器の中枢部分『プルトニウム・ピット(塊)』の生産について、今後六年間で年間三十四十個の生産体制を確立する方針を示した。」と言う。
何時までそしてどこまで、迷走する米国政権に付き合うのか、真剣に考える時が来ている。

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考えるシロ君(やはり親父にそっくり)