先に「『言葉と言葉が通じ合わない時代』の日本語・日本人」と言う記事を書きましたが、やはり今の世の中言葉がおろそかにされていると思います。
One Phrase Politicsのお好きな「独裁者』殿は、「ホリエモン」を選挙で目一杯利用した(いや利用されていた)にも関わらず、「別問題」の一語で逃げの一手。また、靖国参拝も「参拝批判、中韓だけ」(実際にはシンガポールやマレーシアの首脳も苦言を呈しているのに)短い言葉で済まそうとする。
一方先の衆議院議員選挙で「ホリエモン」を「弟だ。息子だ。」と持ち上げた失言王(自らは「偉大なるイエスマン」と呼ぶ)は党の幹事長でありながら「個人と党は別」と自分の言葉に責任を持たない。挙句の果てに「攻撃は最大の防御」と、その言動を批判する民主党の代表(この人も一般的にかなり問題はあるが)を「先の選挙は粉飾決算」発言で懲罰委員会にかけると言う。何をか言わんや。
また、多くのマスメディアも同様。自分達の言葉がもたらした責任を全く省みず、ライブドア問題の報道を垂れ流している。
本当にこれで良いのだろうか。やはり言葉を尽くしてコミュニケーションを図り、それでも問題が起きれば自分で責任を取るべきなのではなかろうか。日本をリードすべき政治家やジャーナリズムの「自己無責任」が言葉の大切さを損なっているように思える。言葉はコミュニケーションの道具ではあるが、それを発する人間の責任はいつも問われる。
ところで、今日10人の妻(9人は内妻)を持つオッサンのことがトップニュースの一つで報道されていた。いつぞやの「白装束集団」のように、困った時の目くらまし作戦なのだろうか。そろそろ私達も物事の本質を見抜く目を持たなければならない。
山口実
P.S. ちょっとあられもないのですが、naoさんからご希望があったので、りすちゃんの伸び伸び写真を添付します。(なかなかタイミング良く取れないのですがーーー)